Saturday, April 27, 2013

なぜスペースシャトルは落ち続けるのか? 組織における「聞き耳のリーダーシップ」の重要性


2003116日。この日のケネディ宇宙センターはムチャクチャ寒かったようです。

恐らくそのためだった、と考えられていますが、この日打ち上げられたスペースシャトル「コロンビア号」には、離床直後に剥離した断熱材が機体を直撃するというアクシデントが発生していました。実は、断熱材の剥離はこれまでの打ち上げでも度々発生しており、慣れっこになっていた関係者の多くは「ああ、またか」と思うに過ぎませんでした。

但し一部の関係者の中には、剥離した破片の大きさから、機体への影響を憂慮する人も存在しました。当時の関係者は、NASAのエンジニアであるロドニー・ローシャが、打ち上げ翌日に断熱材の衝突箇所の拡大写真を見て「周囲が飛び上がるほどの驚きの声」を上げたことを記憶しています。関係者の多くは、「よくあること」と一顧だにしませんでしたが、念のためということで、この問題を調査するためのチームが編成され、「驚きの声」を上げたロドニーはその共同委員長の一人に選ばれます。

打ち上げから五日たち、経験豊富なリンダ・ハムが議長を務める定例の会合が開催されました。この委員会は、コロンビア号の飛行任務を統括し、飛行中に生じた問題への対応策を策定する責任を負っていました[1]。ここで、耐熱材の衝突に関する問題が取り上げられたとき、議長のハム女史は「これは以前の飛行でも何回か起きたことで心配するに足りない」という指摘を行いました。

確かに、1981年のスペースシャトルの初飛行以来、ほとんどすべての飛行任務で断熱材の機体への衝突は発生していました。しかし、これは本来見過ごせないトラブルだったはずです。スペースシャトルの設計仕様は断熱材の剥離を前提としていません。しかし、何度も何度も経験し、結果的にそれが大きなトラブルにつながらなかったためにエンジニアもフライトマネージャーも剥離の衝突に慣れっこになってしまい、断熱材の衝突によって機体にシリアスな危険が及ぶことは有り得ないという、ヘーゲルがいうところの「暗黙の前提」を共有するようになっていました。

議長のハム女史は、この会合において、断熱材の衝突について「スペースシャトルが既に軌道上にあり、我々にできることが殆どない以上、飛行中の問題として扱うべきではなく、むしろ次のフライトへ向けて補修をどうすすめるべきか、という問題として扱うべきだ」という意見を述べています。確かに、たとえ断熱材の衝突が「飛行の安全」をおびやかすものであったとしても、コロンビア号の大気圏への再突入の安全性を確保するためにNASAが出来ることはせいぜい「お祈り」くらいしかありませんでした。

一方の剥離片調査チームは、断熱材の衝突による損害を正確に把握するためには追加のデータが必要だという結論に達し、NASAの上層部に対して、コロンビア号の追加映像を申請することにしました。この申請は具体的には、米国が保有するスパイ衛星をつかって宇宙空間のコロンビア号の写真を撮影するよう、国防総省に協力を要請してほしい、というものでした。しかし、この要請は最終的にハム議長に出されることはありませんでした。なぜか?

「エンジニアが直接に上層部に対して意見具申するなどという行為は許されない、という強い空気が当時のNASAにはありました」[2]

と後になってロドニー・ローシャは述懐しています。

数日後、再びミッションマネジメントチームの定例会議で、また剥片の衝突問題が持ち上がります。しかし以前と同様に、ハム議長はこの問題が飛行の安全性に関わるものではないことを確認し、「この問題は次の飛行への準備期間において対処すべきだ」と強硬に主張しました。

ロドニー・ローシャはこの時「いろいろと疑問もあり、言いたいことも会ったけれども、沈黙してしまった」と述べています。後になって、一部のエンジニアが重大な懸念を抱きながら発言を封じていたことについてコメントを求められたフライトディレクターのリロイ・ケインは、批判的に次の様な注意を促しています。

「飛行の安全に関する懸念をチームの一員が感じたのであれば、彼にはそれを表明する責任がある。別に大声でどなれということではない。静かに立ち上がって、懸念の内容とその理由について話せばいい」

しかし、ロドニー・ローシャはこのコメントに同意せず、NASAにおいて上層部の意見に意義を唱えるのは極めて難しいのだということを事故委員会の行ったインタビューで述べています。最終的に、コロンビア号事故調査委員会は「コロンビア号の惨事に際して多くのマネジャーとエンジニアがとった行動は、NASAの職場慣行と過去何年間かの間にNASAに深く浸透した行動パターンを反映している」と指摘しています。

NASAが、その「米国の宇宙計画の推進を担う」というフロンティアスピリットに溢れたミッションからは想像し得ないほどに官僚的で硬直的な組織だということはあまり知られていません。極めて上下関係に厳格で、煩雑な手続きと厳しい規則にがんじがらめになっており、コミュニケーションは規定の厳格な指揮命令系統を通じて行うしかない。当時のNASAでは、エンジニアが組織階層で数段上にあるディレクターやマネジャーと直接対話するようなことは「秩序を乱すものであり、あってはならないこと」と考えられていた様です。

チャレンジャー号およびコロンビア号の二つの爆発事故を研究した社会学者のダイアン・ボーンは、NASAが内部で建設的な討論(=認知的不協和)をせずに、結果的に二つの事故を招くに至った理由を次の様に説明しています。

「私が出席したあるNASAの会議で、ロドニー・ローシャとロジャー・ボジョレー(チャレンジャー号の事故が起きる前に、結果的に事故原因となったリングの安全性に懸念を表明したエンジニア)は、NASAの内部では「心配性のうるさいヤツ」というレッテルを貼られていました。いわゆる「オオカミ少年」ですね。だから彼らの意見はあまり信用してもらえませんでした。「またか、うっとうしいな」ということです。この様な組織では、人の入れ替えをしても事故を防ぐことは出来ません。なぜならこれは個人の性格の問題ではなく、組織上の問題、文化の問題だからです。登場人物を変えてみても、まったく組織と文化が変わらない限り、やはり同じ事故が発生するでしょう」[3]

ここで問題になっているのは、組織における上下間での風通しであって、端的にいえばNASAはとても権力格差指標の大きい組織だということです。コロンビア号の事故について、それが最終的に防げたものであったかどうかはともかく、事前に「重大な懸念」をもったメンバーの多くが、それを組織の上層部に伝達することなく、不安を圧殺してしまったということは、様々な角度で組織やリーダーシップのあり様について示唆を与えてくれます。

こういった組織においては、リーダーは、自分の考えに対する反対意見が自分の目の前に突きつけられるのを待っていてはいけません。組織の中において、自分の考えは間違っているのかも知れない、という思いをつねに小脇に抱えて、自分のアイデアに対する反対意見を積極的に探し求めなければならないのです。尊敬されるリーダーから、自分のアイデアに対する反対意見や異なる発想を聞かせてほしいと頼まれれば、多くのメンバーは喜んでそれに応対してくれるでしょう。

僕がいま勤務しているヘイグループは、50年以上にわたって全世界の企業でリーダーシップ開発の支援を行っていますが、部下に意見の発言を促し、それに対して真摯に耳を傾けるリーダー、つまり「聞き耳のリーダーシップ」を発揮している程度は、組織成員のモチベーションやコミットメントに影響を与えることを把握しています。

しかし、残念なことにNASAにおいてはこの「聞き耳のリーダーシップ」を発揮しているマネジャーは少数派でした。コロンビア号の事故調査委員会は、「この事故に関わったマネジャーの多くは、現場のエンジニアから危険性についての懸念を表明されていなかった以上、自分たちに過失は無い、と主張しています。しかし、これは要するに、危険性について意見を求めることも、注意深く話を聞くということもしなかった、ということであって、端的にリーダーシップの問題である」と断定しています[4]

アトランティックマンスリーという雑誌に掲載されたコロンビア号の事故に関する記事に、事故調査委員会の一人と議長だったリンダ・ハムとの会話が記載されています。これを読むと「聞き耳のリーダーシップ」という概念が、NASAの中には殆ど存在しなかったということがわかります。

調査官    リーダーとして、あなたはどのような方法で反対意見を集めるのでしょうか?
ハム      誰かが反対意見を述べるときにはちゃんと聞いています
調査官    ということは、反対意見を聞き逃すこともあるでしょうね?
ハム      いいえ。誰かが反対意見を述べれば、それに対してちゃんと耳を傾けています
調査官    しかし、誰も反対意見を述べない時に、どうやって反対意見を集めるのですか?
ハム      .....

ハム女史は、調査官の最後の質問に対して明らかに困惑しています。恐らく「そんなことは考えたこともなかった」ということなのでしょう。ヘーゲルのいう「暗黙の矛盾」に思考を冒されたハム女史には、最後の質問は意味不明に響いたのかも知れません。

権力格差指標の大きいNASAのような組織では、リーダーが自分のアイデアや意見を述べれば、組織のメンバーはそれにおもねるように意見や思考を調整させる強い圧力が、かならずかかります。従って、ここで重要になるのは、「指示・表明のリーダーシップ」ではなく「聞き耳のリーダーシップ」ということになります。

有効なリーダーシップの有り様は組織の状況や時代といった文脈によって左右されます。権力格差指標の存在を指摘したオランダの心理学者であるホフステードは、権力格差の大きい文化圏や組織では「上司に意見具申することに極めて大きい抵抗感を感じる」ため、リーダーは自分のアイデアをとりあえず伏せつつ、積極的に部下に対して本音の意見を表明させることを促すことが必要になります。これが「聞き耳のリーダーシップ」です。日本の様に権力格差指標の大きい文化圏では、聞き耳のリーダーシップを組織の長が発揮出来るかどうかが、大きく組織パフォーマンスを左右することになります。




[1] コロンビア号の事故については、事故調査委員会による詳細な公式報告書が作成、公開されている。同報告書は、この事故の技術的な原因究明に留まることなく、その背後にある組織的要因を深く掘り下げ、この事故を発生させるに至った「NASAという組織に対する社会科学的な要因」についても説明しており、非常に興味深い。”Columbia’s Final Flight,” Columbia Accident Investigation Board report. August 26, 2003. Washington D.C.
[2] James Glanz and John Schawartz. “Dogged engineer’s effort to assess shuttle damage,” The New York Times. September 26, 2003より
[3] D. Vaughan. 1996. The Challenger launch decision: Risky technology, culture, and deviance at NASA. Chicago: The University of Chicago Press
[4] Columbia Accident Investigation Board Report. 2003. P170

Tuesday, April 9, 2013

「犯人探し」が阻害する組織学習

日本では何かの失敗が起こると「責任追及のため」と称して原因究明がはじまります。

再発防止のためなどと言いますが殆どの場合、それはホンネではありません。

再発防止のためには根本的な原因までさかのぼって事故を分析する必要がありますが、実際には業務上過失致死、業務上過失障害で短兵急に関係者を処分し、それで一件落着としてしまうケースが多い。

要するに犯人探しの仕組みなんですね。

法律を運用する人間は、失敗に直接関わった個人に責任を負わせようとするばかりで、その事件を発生させるに至った組織や社会の枠組み自体の問題を追及するという考え方を持っていないようにみられます。

ロスアラモス国立研究所のマクローリンは、日本の原子力の扱いがあまりに形式的になっていること、それ故、近い将来重大な事故が起こるリスクがあることを警告する手紙を日本に送ったところ、たまたま、本当に偶然にその五日後にJCOの臨界事故が発生しました。

事故後、マクローリンは米国の調査委員になり、日本へ調査へ来ています。ところがここで彼は愕然とすることになる。関係者の誰もが「本当のことを語らない」からです。なぜかと言えば単純で「こういうヤバいことをやってた」と話せば、業務上過失に問われるからです。

日本の法律の基本的な「有罪」の構成原理は「予見可能性」と「回避措置の有無」です。つまり、「ヤバいことが起きそうだとわかっていた」かどうか、というのと「それを避けるためにやれるだけのことをやった」かどうか、ということで、この両方が成立すると、ギルティということです。

一方、米国には司法取引や免責措置という仕組みがあります。

盲目的に米国の仕組みを礼賛するような風潮はどうかと思いますが、この点については、いまの司法制度が米国に学ぶべき点はあるのではないでしょうか。米国の仕組みは「犯人探し」よりも「原因究明」に軸足をおいています。一体なぜこのような悲惨な事故が起こったのか?という点について、あんたのことはもう責めない、それは約束するから、いったいこの組織のなかでどういうことが話され、行われていたのか、一切合切僕らに話してくれ、という取引が出来るということです。

実は、日本でも少数ながらもそういう前向きな取り組みが行われたケースもあります。

例えば1970年の三菱重工長崎造船所で置きた大型タービンロータの破裂事故がそうです。この事故自体は、4人の死亡者、61人の重軽傷者を出した悲惨なものですが、事故がタービンの設計・製造技術の進歩に与えた影響は絶大なものがあります。この事故の従前、タービンロータの破裂事故は年に数件は発生し、その度に多くの犠牲者を出していましたが、この事故で得られた徹底的な知見が世界に発信されて以来、世界中でタービンロータの破裂事故は一度も起こっていません。

三菱重工長崎造船所資料館に展示されている破裂したタービンローター

長崎造船所で作られていたタービンロータは重さが50トンにもなる「鋼鉄の塊」でした。タービンなので、当然回転させられるわけですが、事故は定格回転数の20%増しである3600回転に向けて回転数を増速させている最中、回転数が3540回転になったところで発生しました。不思議なことに、どのタービンも破壊事故を起こすときは4つに破裂することが経験的にわかっていますが、このときも、50トンになるタービンは文字通り「四散」してしまったのです。

飛散した破片のうち11トンの部分は、1.5キロ先にある山の上に飛んで突き刺さりました。一方、9トンになる部分は、工場から0.8キロ先にある長崎湾に落ちました。残りの破片二つのうち一つは、造船所の地面に突き刺さり、最後の破片が工場の中を引っ掻き回して多くの死傷者を出したのです。

破裂の原因は、鋳造時の「あぶく」にあることがわかっていますがここでは詳述しません。注目すべきは検察の対応です。三菱重工は事故調査に全面的に協力するとともに、当時の技術としては「出来る限りの対応をした」うえでの事故だったと主張しました。この主張を受け、検察は業務上過失傷害と過失致死での立件をとりやめ、その代わりに「なぜこの事故が発生したのか」という技術的な解析に全力を尽くし、その結果を世界に向けて発信することで技術の進歩を促すことを決断しました。

この事故とその結末は、技術の進歩が、技術そのものによってもたらされるのではなく、社会や、会社、司法も巻き込んだ上で、それぞれがそれぞれの立場で「技術を進歩させる」ということに向き合うことが大事なのだ、ということを示唆しています。

陪審員制度みたいな表層的なものを取り入れて、司法改革していますよ、というようなゼスチャはもううんざりだと思いませんか?もっと本質的な、社会という巨艦を、すこしでもいい方向に動かすような舵にならないものでしょうかね。