作用と反作用

先日、何度も観ているロンドンオリンピックの開会式をふたたび見返していたのですが、メリーポピンズが空から降りてくる、あの大好きなシーンを観ていて「ハッ」と考えたことを備忘録がわりに。

ここ数年、友人の影響でずいぶん多くのファンタジーを観たり読んだりしているのですが、大人の鑑賞にも堪えられる様な良質なファンタジー、それは例えばメリーポピンズ、ピーターパン、不思議の国のアリス、魔法使いハウルと火の悪魔、ガリバー旅行記、ナルニア国物語、そしてハリーポッターといった作品を並べてみると、実は全て英国産であることに気付きます。

ここでハタと「どうしてイギリスは良質なファンタジーを生み出し続けられるんだろうか」と考え込んでしまったんですよね。で、いま時点での答えは(いわゆる仮説ってやつですね。。。)、「リアリズムがあまりに透徹しているから」というものです。

先日のポストではサンダーバードをとりあげ、イギリスというのは、子供に対しても「情報の重要性」を教え込む様な世知辛い側面がある、という指摘をしましたが、イギリスでファンタジーが異常に発達したのは、この異常に発達した「リアリズム=現実主義」の裏返しなのかもしれない、ということです。

ある一方側に目盛りが極端に振れているというとき、カウンターバランスとして働く別の目盛りが背後に潜んでいるのではないか。

そう考えてみると例えば中国の儒教もそうですよね。科挙の試験に合格するには儒教、つまり孔子・孟子を勉強しなければならないわけですが、合格した後は韓非子、孫子、呉子を勉強させられます。つまり受かる前は「正義とは」「正しいこととは」という建前の勉強をして、受かった後は「世の中はどうやったら動くか」「人間/国家を支配するにはどうしたらいいか」という本音の勉強をさせられるわけです。

韓非子なんて読むと絶句しますよね。正確な引用ではないですけど「あなたを一番殺したがっているのは誰かわかるか?それはあなたの妻だ。あなたを殺して息子を王にすれば、隠然と権力が振るえるし、老いたという理由で放逐されることもない。年取って醜くなれば必ず捨てられると思っているのが女なのだから、彼女はそうされる前にあなたを殺すだろう。あなたは彼女に殺される前に殺さなくてはならない」といったことが平気で書いてある。まあマキャベリズムですよね。

儒教というのは、なんというか、半端な教えですよね。権力や戦略を扱う韓非子や孫氏という「実学」に支えられてフリルのように存在しているという側面がある。儒教は「支配のための学問」ではなく「支配を正当化するための学問」だと言われますが、中国で儒教の伝統が根強いということは、裏を返せばマキャベリズムが異常に発達している、ということでもあります。

これと裏表の関係にあるのがルネサンス期のイタリアですよね。マキャベリズムというのは、文字通りマキャベリが説いた非常に現実的な帝王学ですが、あの時期にあれだけ世知辛い論考が出されたというのは、当時のフィレンツェの権力者があまりに理想主義的で、政治と宗教/道徳を分離せずに扱っていたために戦争や権力闘争にからっきし弱かったという事態の裏返しという側面があります。

これを組織論の枠組みに考えてみると、ある会社で非常に厳格なルールや制度が運用されているということを聞くと、僕らは単純に「へええ、しっかりした会社だな」と思ってしまいがちですが、その様なルールが必要であったということは、逆に言えば業務や社風そのものに本質的にルースな側面があったということの証左でもあります。

これは、前著「天職は寝て待て」にも書いたことですけど、電通の行動規範とされている「鬼十則」は「仕事は自ら創るべきで人から与えられるべきでない」という一条から始まり、他にも極めて攻撃的/能動的な行動規範がこれでもかと綴られていて、読んだ人は「ひえええ、めっちゃアグレッシブやなあ」と思うのですが、実はここにも作用反作用の法則が働いていて、これはつまり電通というのは本来とても「受け身」な会社なのかも知れない、ということです。だから、顧客から言われることのない「自身のビジネスモデルの転換」については、喫緊の課題になっているにも関わらず全く対処できていないでしょう?

何か、極端に目盛りが振れている事象があった場合、その逆側に振れた目盛りもその背後に潜んでいるのではないか、と考えるといろいろと広がりが見えてくる様に思います。