「金を払って学ぶ」VS「金をもらって学ぶ」


いま、出版社から依頼されている書籍の執筆を三本かかえているのですが、先日やっとこさ「イノベーションと組織」に関する本をほぼ脱稿し、いまは「知的生産」に関する本にフォーカスをシフトしつつあります。ちなみに残り一本はまったく手つかずになってます(すいません、○イヤモンドさん・・・)。

で、これらの本を執筆する過程でしみじみと考えたことがあって、それは「お金」と「学び」の関係です。

一言でいえば
        1. 「お金を払って学ぶ=学校」
        2. 「タダで学ぶ=独学」
        3. 「お金をもらって学ぶ=仕事を通じての学習」
の三つを比べてみた時、一般に「学び」となるとすぐに「1」が意識されがちで、確かに重要な契機になるとは思うのですが、本当にその人の人生に対してインパクトを与えるのは、やっぱり「2」であり「3」なんじゃないか、ということです。

僕の友人知人には学校関係者もいるし、大金を払って海外の大学院に通った人も多いのでこう書くと不愉快に思われるかも知れないんだけど、過去のイノベーションの事例、あるいは学習心理学や脳科学の知見、なにより自分の経験を照らし合わせてみると、どうもそう言わざるを得ないんじゃないかと思うんですよね。

イノベーションの本を執筆する過程で、さまざまな文献、あるいやインタビューでたびたび接したのが「独学」の有効性に関する言及です。過去の多くのイノベーションが交差領域で発生していることはよく知られていますが、この「交差的イノベーション」を起こす人材の特徴として「独学者であること」を挙げたのはポール・マイダーでした。

彼は「ある分野や学問について自分なりのやり方で学ぶことによって、その分野において通常とは異なる観点からアプローチできる可能性が増す」と指摘しています。確かに、こういった事例は枚挙に暇がありません。

例えば、おそらく人類史上もっとも偉大な発明家であるトーマス・エジソンはご存知の通り高等教育を受けていませんでした。彼は、分野を問わずに自分が興味を惹かれた本を手当たり次第に読み、二十歳をこえるころには科学や電気に関する主要な論文や文献をほぼ読破し、そこから得た知識をもとにして実験を行って数々の発明をものにしています[1]。

[1]:但し、であるからこそエジソンの科学知識はとても危ういものでもありました。彼は交流と直流の違いを生涯理解できず、ライバルであるウェスチングハウスが交流を採用したのを知って「奴らはどうやって電気の向きを変えているの?」と周りのスタッフに尋ねて仰天させています。でもそれでいい、つまりイノベーションを起こすのに交流と直流の原理的な違いを理解している必要はない、ということです。余談ですが、米国で電気椅子という奇怪な死刑方法が定着したのは、ウェスチングハウスを潰そうと考えて交流の危険性を世の中に知らしめようとしたエジソンのロビー活動によります。なんというか、まあ敵に回したくない人ですよね。このへんの過程はみすず書房の「処刑電流」につぶさに書かれていて本当に面白いですよ。


あるいはスティーブ・ジョブズもそうですよね。彼が大学を中退していることは有名ですが、エジソンと同様にやはり興味の赴くままに様々な読書や勉強を重ねてきたことが知られています。初代マックの発売時、アップルは有名な「人間の知性にとっての自転車のようなものをつくりたい」というステートメントを打ち出していますが、このステートメントについて、ジョブズは「サイエンティフィック・アメリカンの自転車に関する記事にインスピレーションを得た」と述べています。新興PCメーカーの創業者と科学雑誌というのは意外な取り合わせですが、モグリで受けたカリグラフィの授業のエピソードといい、ジョブズの「広範囲に渡る好奇心」を感じさせるエピソードですよね。

あとはダーウィンかなあ。進化論を提唱して科学の歴史に変曲点をあたえた人物ですが、ダーウィンの学校時代の成績は平均以下のものでした(これはアインシュタインも同じですよね)。彼は学校で教科書を読むより、イングランドの田舎で植物を実際に眺めたり、権威ある学者のもとを訪れて直接議論することに多くの時間を費やしたので、そりゃ成績は上がらないだろうと。ただ結局はその積み重ねが彼の革命的なアイデアに結実したわけで、端的にダーウィンは「思うに私は、価値のあるものはすべて独学で学んだと思う」と述べています。

イノベーションを起こす人材の共通項が「独学者」であることが指摘されているさ中に、一方で「イノベーションを教える学校」に「イノベーションの起こし方」を学びにせっせと通う人がいるというのは、なんとういうか、滑稽ですよね。イノベーションを学校で習おうと考えてる時点ですでにイノベーションに向いてないよ君は、という・・・学校なんて行かずにサッサとやりゃあいいじゃん、と思うんだけど。

次に取り上げたいのが、脳科学や学習心理学の知見です。僕はこの領域については専門ではないので、あくまで十数冊の本を読んで得た知識限り、つまり独学の範囲でということですが、大きく今の学校システムには二つの問題があるみたいなんですよね。

まず、そもそも学校で習ったコンテンツはすぐに忘れるという問題があります。研究にもよりますが、半年から一年後にはだいたい90%以上の内容が忘却されてしまう、ということで研究結果は収斂しているようです。これは多くの方の実感値とも符合するんじゃないでしょうか?なんで忘れるかというと、差し迫ったニーズがないままに知識を得ているからです。レオナルド・ダ・ヴィンチは「必要がないのに学ぶのは、食欲がないのに食うのと同じでカラダに悪いべ」と指摘してますけど、まあそういうことです。ニーズもないのにフォアグラのガチョウの様に知識を詰め込まれているわけで、考えてもみれば忘れて当たり前なんですよね。

で、二つ目の問題が、いまの教育システムが全般に創造性を毀損する枠組みで設計されているということです。脳科学者で「ブレインルール」の著者であるジョン・メディナは「人から創造性を奪いたいと考えれば、いまの大学・大学院の様なシステムの場所に送り込めばいい」と述べています。たしかに先述した偉大なイノベーターの多くは学校に通っていないか中退していますよね。彼らは、よく「学校を出ていないのに」という「But」の文脈で成功を語られますけど、もしかしたらそれは「学校を出ていないからこそ」という「Therefore」の文脈で語られなければならないのかも知れません。

そういえば、これは東大航空学科の加藤寛一郎先生に聞いた話ですけど、高卒と大卒が混じっている自衛隊の戦闘機パイロットのうち、エースパイロットになるのは「殆どが高卒」なんだそうです。「大卒のパイロットは大成しません」というのが加藤先生のコメントで、これは世界的に共通する傾向だというんですよね。でもこの話、成功したアントレプレナーの多くが大学をドロップアウトしているという話と、何かが通底しているように感じませんか?

ということで、最後は自分の経験から、これはとても単純に、僕がいまコンサルティングや講演や執筆というかたちで行っている知的生産のベースになっているストックの殆どは、仕事と独学を通じて形成されたものだという強い実感があるからです。率直にいって大学/大学院で学んだ知識はなんの役にも立っていません。

まあ僕の場合、専攻がビジネスとは何の関係もない「美術史」だったということもあるのかも知れないけど、じゃあこれが経営学になればなにか変わるのかとなると、どうなんだろうなあ。マッキンゼーの採用担当だった伊賀さんは、ご著書「採用基準」の中で「トップクラスのMBAでも授業内容はごく初歩的なもので実務には使えず、高額の授業料をまったく合理化できない」といった趣旨の指摘をしていますから、まあ状況はあまり変わらないのかも知れません。

ということで、クオリティの高い知的生産を行おうとすれば継続的な学習が必須であることは当然なんだけど、その際「では学校で」と考えるのも勿論いいんだけど、まずは「業務経験を通じて良い学びを得る」、あるいは日常生活のなかで「独学で良い学びを得る」ということを意識した方がいいんじゃないのかなあ、ということです。