「よいビジョン」の三要件


最近、あるきっかけがあって「よいビジョン」について考えています。で、考えに煮詰まった時にいつもそうするように、今回も寝っ転がりながら歴史書とか哲学書とかをパラパラとめくって考えを宇宙に飛ばしていたのですが、なにか見えてきたような気がするので共有しておこうかな、と。

なにが見えてきたかというと、

過去の歴史において多くの人を巻き込んで牽引することに成功したビジョンを並べてみると、どうも三つの共通する要素があるんじゃないか、ということです。

その三要素とは「Where」「Why」「How」です。

順に説明していきましょう。

  • Where」を提示する
共感できるビジョンに必要な三要素の一つが「Where」になります。「Where」とはつまり、「ここではないどこか」ということですね。これを明示的に見せることで「そこに行ってみたい」という共感を醸成することが、まずは必要になるということです。

これは以前のポストにも書いたことですが、リーダーというのは「ここ」から「ここではないどこか」へとフォロワーを引っ張っていく役割を担っています。で、ここがポイントなのですが、フォロワーを引っ張る際に「権限」に頼らず「共感」で動かすためには、「ここではないどこか」を、皮膚感覚に訴えるように提示して「自分たちもそこに行きたい」と思わせる必要があります。

この点について、あらためて「お手本だよなあ、これは」と思うのが公民権運動の指導者だったキング牧師の演説です。

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”I have a dream that one day on the red hills of Georgia, the sons of former slaves and the sons of former slave owners will be able to sit down together at the table of brotherhood."

”私には夢がある。いつの日かジョージアの赤土の丘の上で、かつての奴隷の子孫たちとかつての奴隷所有者の子孫が同胞として同じテーブルにつくことができるという夢です。”
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ううむ。こうやって読み返してみると、キング牧師がいかに「ここではないどこか」を感覚的に描き出す事に意識的であったか感じて頂けるのではないでしょうか?

でですね。翻って考えてみると日本企業のビジョンはこの点に関連して大きく二つの過ちを犯している様に思うんです。

一つは、過度に抽象的なビジョンを設定してしまう、という過ちです。

典型的には「○○の技術をフルに活用し、もって社会と取引先の発展に貢献する」といった様なビジョンですね。確かに、書かれていることそのものは絶対善といえるような内容で反論の余地がありません。ただ、ビジョンの要件である「共感」をこの文言からは喚起できないと思うのです。

なぜ?

抽象的過ぎるからです。ビジョンというのはつまり、明示化された「ここではないどこか」ということですが、余りに抽象的なビジョンを打ち出してしまうと「ここではないどこか」と「ここ」の違いが明確化できません。「ここではないどこか」と「ここ」の違いがよくわからない、ということであれば、では「ここ」からわざわざ苦労して動くことないじゃないかと、まあ普通の人は思いますよね。

じゃあということで、もっと具体的なビジョンを掲げようと思いっきり逆側に目盛を振ると、今度は二つ目の過ちを犯すことになります。

それは過度に定量化されたビジョンを設定してしまうというケースですね。具体的には「○○年までに、売上高××を達成する」とか「○○年までに、海外売上高××%を達成する」といったものです。しかしながら、やはりこのステートメントにも共感はできません。

なぜ?

人間は数字に共感できないからです。じっと手を胸にあてて考えてみて欲しい(©テリー伊藤)。もし、先ほどのキング牧師の演説が「わたしの目標値としては上級管理職に就いている黒人の比率を現在の5%か17%へ、また、現在8%と低迷している大学進学率を20%へと上げることを目標に善処したいと考えております」といった内容のものであったとすれば、彼の演説が世界を変ええたでしょうか。

フォロワーを共感してリードするためには、まず視覚に訴えかける様にヴィヴィッドな「Where」が必要になります。

  • 共感出来る「Why」を示す
よいビジョンに求められる次の要件が、共感出来る「Why」です。「ここではないどこか=Where」が示せたとして、わざわざ今いる「ここ」から「ここではないどこか」に移動するには、その移動を合理化するための納得出来る理由が必要です。

なぜ?

殆どすべての人は、長くいればいるほど「ここ」に対して様々な愛着やノスタルジーを覚えるようになるからです。愛着のある「ここ」を捨てて、わざわざ未知の荒野に踏み出して「ここではないどこか」を目指すためには、どうしても強く共感出来る「理由」が必要になります。

しかし、現在の日本において、この要件を満たすビジョンを打ち出せている企業は僕が知る限り殆どないのではないでしょうか。

共感出来る理由を示されないまま、組織内の権力に基づいて無理強いの行軍を強いられている、というのが今の日本企業で働く人々の状況ではないかと。先述した通り、日本企業の多くは具体的な「Where」の明示もしていませんから、これはつまり行き先不透明な場所へ向かって、その理由も告げられないまま、泥沼の中を無理に行軍させられている様なもんです。

グローバル化の推進、企業価値の拡大、顧客提供価値の拡大、売り上げの成長、そしてイノベーションの実現。多くの企業において「ビジョン」として掲げられているこれらの標題について、では「Why=なんのために?」と問われて共感出来る「回答」を提示出来るリーダーがどれほどいるのでしょうか?

人間が陥るニヒリズムについて徹底的に考え抜いた歴史上最初の人物は恐らくニーチェでした。ニーチェは、その著書「意思の力」の中で、人間がニヒリズムに陥るのはまさにこの「なんのために?」という問いに対して答えを持てなくなったときだと指摘しています。そして、今現在の日本企業で働く多くの人が陥っているのもこのニヒリズムなのです。

高度経済成長からバブル期にかけては、組織のリーダーが、この「なんのために?」という問いに対して答える必要はありませんでした。

なぜ?

社会的に共有されたコンセンサスとして「豊かになって幸せになるために」という回答が共有されていたからです。売り上げを伸ばす、コストを下げる、辛い接待に耐える、遅くまで残業で働く、環境を汚染しても生産を優先する、家族を犠牲にしてもモーレツに働く。

なぜ?

だって「豊かになるため」に、だって「幸せになるため」に。

しかし、2013年現在の日本に生きる我々は「経済的豊かさ」と「幸福」が必ずしも相関しないという哀しい真実を既に知ってしまっています。この様な時代において「豊かになること」を「Why」に設定しても、その組織に属する人々のニヒリズムを解消することはできません。

組織のリーダーには、経済的成長以外の目的で「Why=なぜこのままではいけないのか?」という理由を提示することが求められます。

  • 納得出来る「How」を示す
よいビジョンに求められる三つ目の要件が、ではどのようにしてそれを実現するのかの基本方針=「How」です。どこに行くのか?=「Where」、なぜ行くのか?=「Why」を示すだけでは、ビジョンの実現に向けた行動は駆動されません。なぜなら、人間は実現に対して懐疑的な営みには共感できないからです。詳細な実行計画ではなくとも、少なくとも「こうやったら確かにうまく行きそうだ」というパースペクティブがあって初めてエネルギーと生まれることになります。

ところが、この点についても日本企業の多くは、ビジョン(らしきもの)を出すだけ出して実現方法の考察は現場におまかせ、という状況のように思います。

するとどうなるか?先述した通り、多くの企業で打ち出されているビジョンは「過度に抽象的なもの」か「過度に定量的なもの」のどちらかですから、前者のケースであれば、結局何をすればいいのかわからないということになって変化は起きず、後者であれば、売上やシェアの増分だけ余計に働けというメッセージなのね、と受け取られることになります。

ビジョンを実現させるということが「ここではないどこか」に向かうという営みである以上、必然的に組織の構成員は、量と質の両面で「今までとは違う行動」が求められることになります。つまり、ビジョンの実現は最終的には必ず何らかの行動の変化が伴うわけですが、では何をどのように変えていくのかという指針が与えられなければ、彼らは最初の一方を踏み出すことが出来ません。この「最初の一歩」を踏み出すための大きな方向性を規定するのが、ではどのようにして=「How」なのです。

  • よいビジョンの例
これまで、よいビジョンとは共感出来るものであること、共感を形成するためには「Where」「Why」「How」の三つの要素が必要であることを説明してきました。実際に多くの人の心を捉え、行動を変え、結果的に歴史を動かすことになったプロジェクトや組織のビジョンの実例から、上記の三要素の打ち出され方について確認してみましょう。

まずは、ケネディが1961年に打ち出したアポロ計画です。アポロ計画において、ケネディは主にスピーチという形をとって様々な関係者に対して継続的に下記の様なコミュニケーションを行っています。

Where   
1960年代中に人類を月に立たせる

Why     
現在の人類が挑戦しうるミッションの中で最も困難なものであり、であるが故にこの計画の遂行によって米国および人類にとっての新しい知識と発展が得られる

How     
民間/政府を問わず、領域横断的に米国の科学技術と頭脳を総動員して最高レベルの人材、機材、体制をととのえる

アポロ計画は、ビジョンそのものが移動にまつわるものであるため「Where」はそのまま「月」という場所で示されています。後の要素についてもパイオニアスピリットを刺激しつつも極めて簡潔にポイントを押さえていますね。ちなみに米国民に向けてこの計画を最初に発表した際、多くのNASA職員は宇宙計画の縮小を覚悟していたと言われています。その様な状況下で、このスピーチを初めて聞いた時の彼らの驚きと興奮を是非想像してみて下さい。

歴史を振り返ってみれば、大きく社会を動かすことになったムーブメントというのは、明示的か非明示的かを問わず、上記の枠組みにそって人を共感させる理由をはらんでいるように思うんですよね。例えば、中世において度々実施された十字軍は、騎士や諸侯だけでなく民衆まで熱狂させましたが、この営みのビジョンについては下記の様に整理出来るかなあ、と。

Where   
聖都エルサレムを異教徒の手から奪回する

Why     
我々の神がそれを望んでおられる

How     
神の免罪を与えることで最も勇敢な騎士を集め、遠征させる

中世から近世まで、この「Why=神がそれを望んでいる」はいろいろな社会的なムーブメントにおいて「Why」を形成するために都合良く使われていますよね。十字軍は結果的に各地でさんざっぱら極悪非道な所行を繰り返していくので、関係者が本当にこの様な理想を胸に秘めていたかどうかは疑わしいのですが、少なくとも「人集め」の段階では、参加を募る側にも参加する側にも上記の様な合理化が働いていました。


さて、現代に目を転じて、この構造は同様にイノベーティブな民間企業においても観察される構造だといえます。例えばグーグルのビジョンを分析してみましょう。グーグルは時期やメディアによって様々なビジョンやミッションステートメントを出していますが、それらを総合してみると下記の様なメッセージになるかと思います。

Where   
世界中の情報を整理し、誰もがアクセスできるようにする

Why     
情報の格差は民主主義を危うくするものであり、根絶させられなければならない

How     
世界中から最高度の頭脳をもつユニークなタレントを集め、コンピューターとWEBの力を最大限に活用する

なんとも壮大な「Where」ですよね。また「Why」も極めて米国的な「絶対善」の概念に根ざしていてわかりやすく、「How」も具体的です。グーグルのマーケティングや採用活動は極めてユニークなことで知られていますが、このシンプルな「Where」「Why」「How」と個別の企業活動がちゃんとアライン出来ているという点からも、このビジョンが極めて組織成員に対して共感され、浸透していることが伺われます。


最後にお約束ですがアップルを見てみましょうか。アップルも、グーグルと同様に時期やメディアによって様々なビジョンやミッションステートメントを出していて、明示的に「これ」といったかたちでまとめるのは難しいのですが、ここはやや恣意的に僕の好きなコメントをまとめて整理すると下記のようにまとめられるかなあと思います。

Where   
人類の知性にとって自転車になるような道具をつくり、それを普通の人々に提供する

Why     
知は自由にする

How     
テクノロジーとリベラルアートの交差点をレバレッジする

スティーブ・ジョブズが上記の「Where」を打ち出したのは初代マッキントッシュの発表時でしたから(現在でもYoutubeで動画を確認出来ます)、かれこれ30年が経過しているわけですが、いまだに「人を共感させる」という側面で色褪せていませんよね。なぜ色褪せていないかというと普遍的な価値観をそこに含んでいるからです。

二足歩行する人間の移動効率は他の動物と比べてそれほど高いものではありません。しかし、この人間が自転車に乗るとその移動効率はコンドルやチーターばかりか航空機や自動車をも凌ぐことになり、地球上でもっとも効率のよい移動物体になります。あれほどシンプルで安価な、つまりだれでも手に入れることが出来る機械を得るだけで、人間は飛躍的に「ここではないどこか」へ移動する能力を向上させることが可能になるのです。

そしてスティーブ・ジョブズは、コンピュータを、人間の知性にとって同様のことを可能にするものにしたいと考え、それをすべての人に提供しようと企んだわけです。しみじみと、これは本当に人を奮い立たせる様な革命的な「Where」だよなあと思われるのです。

ということで、「よいビジョンの三要件」でした。