Tuesday, June 4, 2013

イノベーションにおける「意思決定2.0」の可能性

最近いろいろな場所でイノベーションに関する講演をやってて、その都度、イノベーションに関する意思決定は、杓子定規なルールや手続きに則るのではなく、リーダーによる「全人格的」な直観によって行われるべきだ、という話をしているんですが、将来的には、この「リーダーの直観」に変わる新しい意思決定のあり様が可能になるかもしれないよなあ、とぼんやり考えています。

それは、組織成員全員による集合的な意思決定の仕組みの可能性です。

こう書くと、おいおい例えばピッグス湾事件等の「集団浅慮」の問題を知らないのか?と思われる方もいらっしゃるかも知れません。確かに、一般に同質性の高いエリートが集まると「おバカな意思決定」をやってしまうという傾向があることは数多くの実証例で明らかにされていて否めませんよね。しかし、次の事例を読めば集合的な知性がもつ潜在的な力を認めざるを得ないのではないでしょうか?

19685月、アメリカ海軍所属の原子力潜水艦スコーピオンは、地中海で実施されていた軍事演習を終えてニューポートニューズへの母港へ帰る途中、1968521日夕方の定時連絡を最後に、消息を絶ちました。ノーフォークへの入港予定日は527日でしたがスコーピオンは同日になっても姿を見せず、アメリカ海軍はスコーピオンの遭難を発表するとともに捜索を開始しました。

さて、捜索する以上、まずは沈没場所を特定しなければいけないわけですが、これが悩ましい。というのも、海軍は、最後に報告をした際のスコーピオンの位置については把握していたものの、実際に沈没するまでにどれだけの距離を進んだかについてはまったく手がかりをもっていなかったのです。結局のところ、深さ数千メートルの海底を、30キロ四方に渡ってあたりをつけて捜索するという、途方にくれそうな捜索活動を開始します。

この捜索活動を推進するに当たって、捜索活動の指揮をとった元海軍士官のジョン・クレーブンは、確率論を応用した手法によって沈没位置を特定するというアプローチを採用しました。クレーブンは、スコーピオンに起こった可能性のある出来事を反映させたシナリオをいくつか作成し、数学者、潜水艦の専門家、海難救助隊などいろいろな分野の知識をもった人たちを集め、こうした専門家で意見交換を行った上で、「一つの結論を出してもらう」代わりに、各人にそれぞれのシナリオの蓋然性を個別に判断してもらいました。

クレーブンは、参加者の関心を引き付けるために「かたちだけでも」ということで賞品にシーバス・リーガルのボトルを用意し、参加者はスコーピオンにどんなトラブルが発生し、その結果、どのようにして沈降し、海底に衝突したかについて予測し、それを賭けさせました。こうして集まった断片的な予測を、クレーブンはそれぞれベイズ確立を用いて重ね合わせていき、最も濃い点となるポイントを推測沈没地点としました。

賭けに参加したメンバーのなかで、クレーブンが最終的に算出した地点を選んだ者は誰も居ませんでした。これはつまり、最終的に描き出された推測沈没地点は、純粋に集合的なものであって、集団の中の「誰か」の予測に収斂したわけではない、ということです。

結果は果たして、この集合的な推測は極めて正確だったんですね。スコーピオンが消息をたってから五ヶ月後、圧壊した潜水艦が海底に確認されますが、これはクレーブンが作成した推測沈没地点とわずか200メートルしかずれていなかったのです。

このエピソードは、集団の意思決定がうまく機能すると、その集団の中にいる最も賢い人よりもクオリティの高い意思決定をすることが可能になる、ということをよく示しています。そしてこの集合的知性の持つ可能性が、企業に新しい意思決定のあり方をもたらしてくれるかも知れない、と僕は考えているんです。

「消息を絶った潜水艦の沈没位置を特定する」という絶望的に不確実性の高い問題には、論理思考等のアルゴリズミックな問題解決アプローチはまったく通用しません。そしてそれは「未来においてどのようなサービスや商品がイノベーションとして普及することになるのか?」という問いについても同じではないかと思うんです。この様な問いに対して論理思考を用いてロジカルに回答しようとするのは不毛を通り越して滑稽というべきで、だからこそクレーブンはきわめてヒューリスティックなアプローチを採用していますよね。

ここで注意しておくべきなのは、集団による意思決定がきちんと機能するケースとそうでないケースがある、ということを認識しておくことでしょう。クレーブンが用いた意思決定のプロセスでは、「賢い意思決定を行う集団」に見られる四つの特性である、「多様性(バックグラウンドの異なる人々の集まり)」、「独立性(他者の意見に左右されない)」、「分散性(自分なりに情報を取得する手段がある)」、「集約性(意見を一つにまとめるメカニズムの存在)」の全てが、きっちりと押さえられていることがわかります。

僕が、いまこのタイミングで集合的な意思決定の仕組みを、イノベーションの実現という文脈において注目するようになったのは、ITの進化によって、上記の四つの条件を満たしながら、大きな負荷をかけることなく組織成員が意思決定に参画する、ということが可能になってきたからです。ルソーは社会契約論の中で、国民の意思が選良による代理を経ずにそのままダイレクトに政治に反映される「一般意思」の概念について述べていますが、僕が考えているのはまさにこの「一般意思」の企業版(パワードバイIT)だということです


これまで「経営管理=マネジメント」の世界では、手足を動かす大勢の人と、意思決定を行うごく一部の人、という構造が100年以上に渡って所与のものとされてきており、世の中の殆どの人はそれが当たり前だと思っています。しかし僕は、近代社会が標榜する「自由と平等」という絶対善に対して、社会の中でもっとも大きな影響力をもっている組織である企業が、真っ向から対立するシステムによって駆動されていることについてかねがね非常な違和感を覚えているんですよね。ITを通じた集合的知性の可能性は、経営管理のこういった「旧式のあり方」を破壊し、会社や組織の新しいあり方を可能にすることで社会における真の「自由と平等」の実現に寄与してくれるかも知れないなあ、などと考えています。

No comments:

Post a Comment