Wednesday, May 8, 2013

日本における女性活用を阻む最大の敵


このブログでは時事ネタはほとんど取り扱わないのですが、安倍政権が成長戦略の一環として女性活用を推進することを打ち出してオオオオと思い、組織開発の専門家としては少し書いておいた方がいいかなと思って筆をとりました。

まず、大前提として、僕自身が二人の女性を子に持つ親の立場ということもあり、女性が働きやすい社会を作ろうという基本的な理念には大賛成です。その上でなお、日本における女性活用というのは非常な難事業になるだろうなあとも思っています。理由は後述しますが、日本は、ある意味で「世界で一番女性が活躍しにくい国」だからです。

安倍政権が打ち出したKPIは、2020年までに要職の3割を女性にしよう、というものです。日本の現状を考えれば、まずはこういう数値を打ち出して社会的なコンセンサスを作っていく以外になかったということなのでしょうから、これはこれで批判するつもりはありません。ただ僕は、こういった表面的な数字合わせだけに意識が集中してしまうと、本来僕らが向き合わなくてはいけない重大な社会的課題に眼がむかず、結果的に本当の目的である「多様性の推進」という側面がスポイルされてしまわないかな、ということを懸念しています。

例えば、数値の上では女性の社会進出が世界一進んでいると言われる北欧諸国ですが、では本当に女性が自分らしさを活かして社会的に活躍出来ているか、と考えるとこれがなかなか微妙なんですよね。

例えばスウェーデン女性の社会進出は世界一と言われていますよね。 国会議員の約4割が女性(EU平均は2割程度)で、1999年秋に組閣したペアソン内閣は女性閣僚が過半を占めていました。しかしこういった数字の下で、本当に女性が社会的に慈しまれているかどうか、という点で疑問を呈する人も少なくない。

例えば元外交官で北欧文化協会理事の武田龍夫氏は著書(中公新書:福祉国家の闘い)の中で次の様に指摘しています。

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例えばスウェーデンの家庭における女性の位置づけは日本のそれより遥かに低い上、夫に比較して所得も低いために、彼女たちはつねに劣等感に苛まれている。

また女性の社会進出率が80%以上と言われて喧伝されているが、約半分はパートというのが実態だ。議会への進出もクオタ制による割り当て選挙のおかげである。この点をスウェーデン女性もよくわかっていて、実力で勝ち取ったものではないという後ろめたさにいつも付きまとわれている。

結果的に女性の社会進出は大きく偏向しており、職種は特定部門の二十種類程度に集中している一方、男性の職種は百六十種類程度に広く分散しており、また経済・金融・産業界で女性トップは一人もいない。

結論から言えば、スウェーデン女性の社会進出は、まやかしの表面的なものでしかない。
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女性の社会進出の度合いを数値ではかるというのは一つの方便としてはわかるのですが、武田氏がスウェーデンについて指摘しているこれらの事実は、仮に安倍政権が訴える「2020年までに30%の要職を女性にする」という表面上の目標を達成出来たとしても、その裏側で本当に「女性の生き甲斐」や「社会の多様性」が達成されるわけではないかもしれない、ということを示唆しています。

では、何がカギになってくるのか?

僕は「要職を女性に奪われる側」である男性のマインドセット、特に現在の社会において要職についているシニアポジションの男性のそれを、どこまで変えられるかがカギだと思っています。

この点を考察するに当たって、オランダの心理学者であるヘールト・ホフステードが提唱した「男性らしさ対女性らしさ」の指標が、いろいろな示唆を与えてくれます。


ホフステードは、IBMからの依頼を受けて1967年から1973年の6年間にわたって研究プロジェクトを実施し、その結果IBMの各国のオフィスにおける「文化的風土がもたらす行動や価値観の差異」が、組織における仕事の進め方や役割分担に大きな影響を与えることを明らかにしました。彼は、組織の文化的差異に着眼するに当たって

             1:「権力の格差」
             2:「個人主義対集団主義」
             3:「男性らしさ対女性らしさ」
             4:「不確実性の回避」

という四つの「次元」の存在を指摘し、今日では、これらの指標は一般に「ホフステードの四次元」として知られています。

この四つの指標のうち、女性の社会進出を議論する際に問題になるのが「男性らしさ対女性らしさ」の指標です。

ホフステード自身は、この指標について下記の様に説明しています。

まず「男性らしい社会」(ホフステード自身はイギリスを例に挙げています)では、社会生活をおこなう上で男女の性別役割がはっきりと分かれる傾向が強くなります。また、労働にも明確な区別が生まれ、自分の意見を積極的に主張するような仕事は男性に与えられます。男の子は、学校で良い成績を取り、競争に勝ち、出世することを求められます。

一方「女性らしい社会」(ホフステード自身はフランスを例に挙げています)では、社会生活のうえで男女の性別役割が重なり合っていて、論理や成果よりも良好な人間関係や妥協、日常生活の知恵、社会的功績が重視されます。


そして、この「男性らしい社会」のスコアで、日本は残念ながら調査対象となった53カ国中でダントツの一位なんですよね。ちなみに先ほど例に挙げたスウェーデンは53位で最下位となっています。男性らしさ指標において世界でもっとも低いスコアとなっているスウェーデンでさえも、ああいった難しさを持っていることを考えると、日本を「女性が働きやすい社会」にするという挑戦は、泳いで太平洋を渡るとか、棒高跳びで月に行くとか、それくらい難しいことなのかも知れないということです。

しかし僕は絶望していません。

自分の娘たちが将来、自分らしさを思いっきり発揮してイキイキと働けるような社会に少しでも寄与できる様に自分なりに出来る努力をやっていこうと思っています。そして、その最大のポイントは、やっぱり社会で実権を握っている男性たちが、どれくらい社会的性差に関する意識や感性の歪み、いわば「ジェンダーバイアス」といったものから自由になれるかにかかっていると思うんですよね。

この時、一番危ないのは「自分はその様なバイアスからは自由だ」という自己欺瞞に陥ることでしょう。この国の性差別はとても根深く、僕らの眼に見えない形で血の中、骨の中に溶け込んでいます。極論すれば、僕はこのバイアスから自由でいる人はいまの日本には一人もいないだろうと思っています。

以前在籍していたファームで昇進審査の会議に参加していたときのことです。産休で休んでいた女性について議論していた際に、とても尊敬していたオランダ人のパートナーが、「日本は文明国だとずっと思っていたけど、今日の皆さんの議論を聞いて愕然としました。この様な前時代的な議論が、世界中の弊社オフィスのどこかで行われているとは思えないし、更に言えば許されているとも思えない」と非常に残念そうな顔をして指摘したんですね。

僕が「あ、なにかこれは新しいことを言っているのかも知れない」と思ったのは、この指摘を受けた際、その場に居た日本人の殆どが「え?普通にニュートラルな評価をしていた積もりなんだけど?」と顔を見合わせていた時です。指摘されて「ハッ」と思えるならまだいい。反省出来るというのはバイアスを相対化できるだけの認識のマップを持っているということですから。しかし、この場にいた殆どの人は「キョトン」とするばかりで彼の意を得ることが出来なかった。つまり、カルト宗教のドグマの様に、そう他者から指摘されても気付かないほどに、このバイアスの支配力は強力だということです。

会議に参加していたのは、一応グローバルファームのリーダーシップチームです。おそらく半分以上の人が長期の海外留学経験・就労経験をもっていたでしょう。そういう「リベラルをもって自認する人々」ですら、知らず知らずのうちに「人を評価する」というデリケートな局面になると日本の文化を持ち込んでジェンダーバイアスに絡めとられてしまう。

これは本当に、とてもとても手強い敵なんです。

いろいろな対策が恐らく今後は必要なのでしょうが、僕らにまず求められるのは、日本が極めて強いジェンダーバイアスに支配された国であるということ、そしてそのバイアスに我々自身が極めて無自覚であるため、多くの人がそのようなバイアスから自由であると錯覚し、そしてその残酷な無自覚さが、女性の社会進出を妨げる最大の障壁になっているということを心しておくことだ、と僕は思っています。




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