Saturday, February 2, 2013

挫折し続ける初心者のための最後のクラシック入門

小学生の時に自然とクラシック音楽を聴くようになってから30年以上になることもあって、まま「クラシックを聴きたいので教えてほしい」と人から頼まれることがあります。

伺うと、ずっとクラシックの宇宙には興味があるものの、どのドアをどう開けて入っていったらいいのかよくわからず、本屋によくある「クラシック入門」みたいな本をとりあえず買って聴いてみたものの、どうも感興が乗らない、というパターンで挫折している方が多い様です。

なぜクラシック初心者は、挫折し続けるのか?
大きく二つの理由があると思ってます。

まず、僕はこの「入門」なるコンセプトに問題があると考えています。こういう入門書や入門CDは、パッヘルベルのカノンやバッハの管弦楽組曲第二番(いわゆるG線上のアリア)等、大概耳触りのよい甘い音楽で脇を固められていて「ほらほらほら〜クラシックって難しくないですよ〜」とニタニタしながら寄ってくるのですが、僕だってこんな甘い音楽ばっかり連続で聴かされたら辟易しちゃいます。デザートだけで固められたフルコースの料理みたいで聴けたもんじゃありません。

ということで、クラシックを教えてほしい、という友人には最初っから、音楽学的にも音楽史的にも重要性の高いド真ん中の音楽から聴きなさいとアドバイスしています。それで問題なく皆さんクラシックの宇宙を自然に泳ぎ始める。考えれみれば、ロマン派以降から近代クラシックで用いる様なテンションの高い和音は、ジャミロクワイやMisiaが使いまくっているコードとほとんど同じなわけで、そういった点からすれば今の人は「耳の素地」がもう出来ているんですよね。そんな人にパッヘルベルなんて聴かしたって「なんじゃこりゃ、かったるい音楽だな」と思うに決まってます。

挫折の二つ目の理由が、感興の即効性を求めすぎる、という点です。先ほど「耳の素地は出来てる」という話をしましたが、それは素地だけであってやはり「聴く能力」は一朝一夕には高められません。「聴く能力」を高めるにはそれなりの投資が必要なのです。投資?そう、つまり「ちゃんと時間をかけて聴く」という行為が必要だということです。クラシック音楽は、例えばバッハのマタイ受難曲の様に、長いものだと3時間以上の時間を要求する作品もあります。忙しい現代人にとって時間というのは貴重な投資資源ですから「しっかり音楽を聴く」ということに時間をかけるというのは相当覚悟を持たないと出来ないわけで、これが挫折の大きな理由になるのはある程度仕方ない面があります。しかし時間をかけずに斜め聴きしていてもバッハを聴く悦びは永久にわからないままでしょう。

以上の二つの理由から、初心者がクラシック音楽の宇宙に乗り出すに当たっては「時間をかけて聴くべき盤」「聴き込むことで本当に味が出る盤」を厳選する、ということが重要になって来ます。といことで、友人に提供して好評だった「挫折し続けるクラシック初心者のための最後のクラシック入門」と題した、鉄板の10枚をご紹介します。一応、バロック/古典派/ロマン派/近代という時代軸、器楽/オーケストラ/協奏曲という形式軸でバランスがとれる様になっています。この10枚を聴いて、例えば自分はロマン派のピアノが好きなんだなと思ったら、そのセグメントの音楽から今度は少しずつ自分の宇宙を広げていけばいいでしょう。

まず、バッハの「無伴奏チェロ組曲」、演奏はヨーヨーマ。


無伴奏とは、文字通り「伴奏が無い」ということです。伴奏がない、つまりチェロ一本だけで音楽を作り上げています。しかし思い出してください、小学校の時の音楽の授業で、音楽はリズム、メロディ、ハーモニーの三つの要素によって構成されている、ということを習ったと思います。しかし、チェロは弦楽器なので和音を出すことが出来ません。和音を出すことが出来ないということはつまり、音楽の三要素の一つであるハーモニーを作り出せないということを意味しています。ハーモニーを使わずにどうやって音楽の色彩感/表情を作り出していくか?「無伴奏」という制約が生み出す音楽的な難しさはこの一点に集中すると言っていい。

バッハは、この問いに対して、和音を分解して旋律の中に潜り込ませることで、メロディと和音を同時に成立させる、というアプローチをとっています。本来、同時に鳴るべき和音を時間軸に分解して演奏する技法をアルペッジオと言います。よくわからない?分かりやすい例として、アルペッジオを非常にうまく使いこなしたバンドにABBAがあります。恐らく一番イメージしやすいのはチキチータでしょうか。この曲ではイントロからコーダ(終曲)まで、サビの部分をのぞいてバッキングはすべてピアノとギターのアルペッジオで伴奏されています。あるいはビリージョエルのShe's always a woman、サイモン&ガーファンクルのスカボローフェアーなんかもそうですね。


Abba "Chiquitita"


Billy Joel "She's always a woman"

で話を元に戻すと、バッハはこのアルペッジオと旋律を混ぜこぜにしながら、メロディと和音を「一つの音」だけで紡ぎだして舞曲を作る(知られていませんが、この曲はもともと舞曲集として作られています)という「誰からも課されていない」超人的に難解な方程式を自らに課して、この「無伴奏チェロ組曲」という奇跡の様な解を生み出したわけです。

従って、この曲の聴き所は、作曲者がどのような戦略でもって色彩感とメロディを両立させようとしたかというエクリチュール=書法に関する点と、書かれた楽譜を演奏者がどう解釈し、どの音は和音の構成音として、どの音はメロディの構成音として弾き分けているかという点の二点になります。慣れてくれば楽譜を横目に眺めながら、演奏者ごとの解釈の違いを相対化して楽しめる様になります。

ちなみに、こういった音楽的な挑戦の話をすると、なんだか作曲者が自己満足で楽しんだパズルの様なニュアンスがありますが、出来上がった音楽が、端的にとてつもなく美しい、というところにバッハのそら恐ろしさがあると思うのですよね。どんな景色でもこの曲をかけることで何か象徴的な風景の様に切り取ってしまうような、そんな曲です。

大変な名曲で(特に一曲目は誰でも聴いたことがあるはずです)録音の数も膨大なのですが、まずはヨーヨーマの演奏が、端正で入りやすいと思います。

Yoyo MA "Uncompanied Cello Suites No.1 Prelude" J. S. Bach

ヨーヨーマは1982年と1995年の二回に渡って同曲の録音を行っていますが、これは1982年、彼が20歳のときに録音した盤で、年齢のせいもあるのでしょう、とても若々しく朗らかな演奏になっています。無伴奏チェロ組曲にはカザルスやビルスマ、マイスキーなどが名盤を残していますが、どれも少し形而上学的というか、なんとなく小難しい匂いが付き纏っていて、それがまたこの曲の魅力でもあるわけですが、休日にスターバックスでゆっくりコーヒーを楽しみながら聴くのであれば、もう少し「コブシ」が効いていない演奏がいいかなと思い、まずはヨーヨーマの、それも旧盤を推しておきます。

聴いてみると、あまりに美しく自然なメロディなのですが、その色彩の豊かさ、感情の起伏が、メロディの中に潜り込まされた「分解された和音」によって形成されていることに、少し気をつけて聴いてみてください。今までは違う聴こえ方がするのではないでしょうか?

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次、同じバッハの無伴奏ですが、こちらは「無伴奏バイオリンのためのソナタとパルティータ」です。演奏はシグワルト・クイケン。


バッハは「無伴奏〜」と名のつく曲集を上記のチェロ、そしてこのバイオリン、そして他にフルート用に三つ書いていますが、一般にこの「無伴奏バイオリン〜」が、音楽性という点では最も深みがあると言われていて、僕もその通りだと思います。チェロと同じ、無伴奏なので音楽を聴くに当たっての二つのポイントも同じなのですが、この曲には非常に形而上学的なところがあって、なんだか聴いていると耳で哲学するような気持ちになってきます。中でも、これは多くの人がそう指摘すると思うのですが、やはりシャコンヌが圧倒的だと思います。バイオリン一梃だけの、たった十分ほどの曲なのに、星が生まれてから滅びるまでの時間の流れを感じることができます。

この動画はクイケンではなくクレーメルの演奏になります。こちらの方が感情の抑揚をストレートに出していますね。個人的にはクイケンの演奏の方が好きですが、客観的にはこちらの演奏も大変な名演だと思います。

Gidon Kremer "Sonatas & Partitas for Solo Violin" J. S. Bach

演奏者のクイケンはいわゆる古楽器演奏の第一人者です。古楽器とは、作曲者が曲を作った当時の楽器ということです。実はバロック時代と現代では楽器はかなり違っているんですよね。例えば当時の弦楽器の弦はガットでしたが現在はナイロンと鉄線になっています。もちろん後者の方が強く大きい音が出るのですが、悪く言えばデリカシーのないキラキラした音になります。この盤では、クイケンはガット弦を使って弾いています。擦過音の大きい独特の音で非常に情報量が多い。恐らく録音がいいんでしょう。

一方で、現代楽器を使った演奏を聴いてみたければシェリングの盤がおすすめです。


こちらも大変な名盤で、通常「無伴奏バイオリン〜」を聴くならまずはシェリングを勧める人が多いのですが、先述した通りモダンバイオリンを使った演奏なので良く言えばキラキラした、悪く言えば若干デリカシーにかける音になります。まあ好みの問題で、どちらを買っても長く聴ける愛聴盤になるのは間違いありません。

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次、モーツァルトのピアノ協奏曲20番。ピアノはグルダ、指揮はアバド、オケはウィーンフィルのドリームチームです。いわゆるド定番、鉄板の一枚ですね。


モーツァルトは交響曲を41曲、ピアノ協奏曲を27曲作曲していますが、短調はそのうち交響曲で2曲、ピアノ協奏曲で2曲しか作っていません。そして、この20番はそのうちの一曲になります。次に紹介するモーツァルトの交響曲40番も短調なんで、わざわざたった4曲しかない短調のうち2曲をピックアップしてるわけで、どんだけ短調好きなんだよ、ということですが、元々が朗らかで陽気な性格のモーツァルトがあえて書くぐらいなのでモーツァルトの短調はどれも傑作ぞろいなんです。

Friedrich Gulda "Piano Conerto No.20" W. A. Mozart

この曲は映画「アマデウス」の様々な場面でものすごく効果的に使われていたので聴けばいくつかの場面を思い出すかも知れません。映画の最後のシーンで流れていたのはこの曲の第二楽章ですね。東京で雪が降ると僕はホットワインを作ってこの曲をかけながら外を眺めるのを習わしにしています。

ちなみにモーツァルトの短調は、どれもシンコペーションの使い方に特徴があって、聴きなれてきたら是非スコアを読んでみることをお勧めします。第一楽章、主題導入部は低音弦が不安を煽る様にズズズーと鳴っていて、これは同じモーツァルトの交響曲25番と同じ様なシンコペーションなのかなと思うのですが、実はとても繊細なシンコペーションになっていることが、スコアを確認するとわかります、

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次、モーツァルトの交響曲40番です。指揮はカール・ベーム、オケはベルリンフィルです。


モーツァルトというと子供のときから天才で、若いときからどんどん傑作をものにした、というのが一般的なイメージですが、これは必ずしも間違いではないものの正確とは言えません。モーツァルトの作品は、晩年になればなるほど作り込みが複雑になってクオリティが高まる明確な傾向があります。最初期の交響曲なんて誰も聴いていないでしょう?いくら天才でもやっぱりキャリアの一番最初の作品は大したことないんです。

この交響曲40番は、ちょっと不可解というか聴いている側が戸惑うほどに「これでもか!」と高度な作曲のテクニックが注ぎ込まれていて唖然とさせられます。対位法という、各楽器がバラバラにメロディを奏でながら、同時に弾かせるとそれがハーモニーになっているという、それはまるでアラブの細密画の様に、モアレを起こすくらいに精密な書かれ方をされています。恐らく死期の近いことを悟った本人が、自分の持てるテクニックの集大成として書いたという側面が強いのでしょう。聴けば聴くほどに作り込みの深さに驚かされ、スコアを読むとさらに度肝を抜かれるという、そんな作品です(って全然解説になってませんが)。

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次、ベートーヴェンの交響曲7番。指揮はニコラス・アーノンクール、オケはヨーロッパ室内管弦楽団です。


この曲は「のだめ」で有名になりましたね。後期ベートーヴェンの作品に共通してみられるある種の「晴朗な快活さ」を持ったとても健康的な交響曲を、古楽器演奏の大家であるアーノンクールがとても端正に演奏しています。第一楽章の冒頭から第四楽章のコーダまで、全編聴きどころの美味しいシンフォニーです。

アーノンクールはあまり動画がないので、こちらはエストニアの指揮者ヤルヴィの演奏ですが、これまた端正ですばらしい。ちなみにヤルヴィは2015年からN響の常任指揮者に就任する予定ですね。楽しみ。


実は、いわゆるベト7は、フルトウェングラー指揮のものが絶対的な名盤として君臨していて、聴くと確かにこれは素晴らしい演奏なのですが、いかんせん録音が古い。


演奏の解釈を楽しめるレベルになればこういう盤もありなのでしょうけど、やっぱりホールに居る様な臨場感ある音というのも大事な要素なので、ここではアーノンクール盤を推しておきたいと思います。



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次、同じベートーヴェンの中期ピアノソナタです。「悲愴」「月光」「熱情」の3曲。演奏はエミール・ギレリスです。


これもいわゆる定番中の定番と言える一枚ですね。ベートーヴェンはピアノソナタという形式を完成させた人物と言えますが、これら中期の3曲を聴くと時が経つに連れて少しずつ形式が複雑化しながら音楽の深みが増していくのがわかってとても興味深い。

一番取っ付きやすいのは間違いなく最初の「悲愴」なんですが(何と言っても第二楽章をビリージョエルが歌にしているくらいですから)、聴き込んでいくとやはり「熱情」の奥深さに心打たれる様になります。

闘争を通じて勝利を獲得するというベートーヴェンの人生をそのまま楽曲にしたらこうなるのだろうなという、まさに「熱情」ですね。ともすると走ってしまいがちな楽曲なのですが、ギレリスはとても抑制をきかせてじっくりと弾きあげています。

本当はギレリスの動画があると良かったのですが、あまりクオリティの高いものがなく、これはほぼ同時期に活躍したアラウの演奏になります。うーん、僕はギレリスの方が好きだけど、やっぱり甲乙つけがたいかなあ。

Claudio Arrau "Appasionata" Beethoven

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次、シューマンの交響曲4番です。先ほど「旧い」と一蹴しておきながらなんですが、こちらの演奏はフルトヴェングラーになります。オケはベルリンフィル。1953年の録音です。


これはいい。同曲ではバーンスタインやカラヤンもとてもいい演奏を残していますが、さすがにこれだけの演奏をされてしまうと録音の旧さには目をつむりたくなります。シューマンという人は、最後は発狂して亡くなってしまった人ですが、音楽にそれが出ているというか、なにかある種の「怖さ」を感じさせるところがあって、そういう心の奥底に蠢く何かを感じさせる演奏です。ハイになる時は無茶苦茶ハイで、聴いてて体がタテノリに動き出すような部分もあるかと思うと、泥沼に沈潜していく様な部分もあって、わかりやすいと言えばわかりやすいのですが、音楽的には破綻してますね。豹変するんです。

Wilhelm Furtwangler "Symphony No.4" Robert Schuman

ピアニストでもあったシューマンの愛妻クララは、シューマンに「もっと普通の、わたしでも歌える様な普通の曲を作って。どうしていつも豹変する様な凄味のある曲なの?」とせがんだそうで、シューマンも「わかったよクララ、オレがんばるぜ」ということでかなり努力したらしいのですが、出来上がる曲はやっぱり「あれ、なんか怖い・・・でもスゴくね?」という。

ちなみに怖いもの見たさで更に狂気の音楽を味わってみたい人にはクライスレリアーナをお勧めします。聴くと「ああああああ、これはダメだなあ、狂っちゃってるわ」というのがよくわかります。おすすめはシフの盤、といいつつ動画が見つからなかったのでこちらHelene Grimaudの演奏になります。個人的にはシフの方がやっぱり好きかな。

Helene Grimaud "Kreisleriana" Robert Schuman

評価が高いのはホロヴィッツやアルゲリッチの盤ですが、僕にはちょっと荒すぎる様に思えるんですよね。聴くと、狂気寸前の人が作る音楽とはこういうものか、というのがよく分かります。或る意味でモーツァルトと同じくらいに闇を背負った音楽です。


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次、ドボルザークの交響曲9番「新世界」です。指揮はケルテス、オケはロンドンシンフォニーになります。


クラシックになじみが全然ない、という人はこの曲から入るといいかも知れません。とにかくカッコいいメロディとオーケストレーションが目白押しなので非常に「入りやすい」曲です。特に第三楽章、第四楽章と畳み掛ける様に曲が進んでいくので、集中力を維持しようとしなくっても曲が勝手に引き込んでくれます。僕の経験でもこの曲を聴いてクラシックにハマっていった人が少なくありません。

ケルテスはあまり日本では知られていませんが、同盤は定番中の定番と言えます。少し録音が旧いので新しいのを、という方にはこちらのカラヤン盤もおすすめです。


こちらはカラヤン指揮の同曲の動画。さすが、カラヤン時代で絵の取り方がドラマチックです。逆光の使い方とかね。

Hervert v. Karajan/VPO "Symphony No.9" Antonin Dvorak

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次、ショパンのエチュード、奏者はポリーニです。


この盤を初めて聴いた時の衝撃は忘れられません。

もともとポリーニが史上初めて満場一致でショパンコンクールに優勝して、当時審査員だったルービンシュタインから「ここにいる審査員の誰よりもテクニック的には上」と言われたほどのテクニシャンであることは知っていたのですが、この盤を聴くまでは今ひとつピンと来てなかったんですよね。そんなにうまいかな〜と。

エチュードというのは練習曲のことですが、実は無茶苦茶な難曲です。で、これを精密機械の様に弾いていくのですが、とにかくその「切れ味」が只事ではない!音楽を表現するのに「切れ味」とは?と思われるかも知れませんが、一曲目を聴けば即座に「切れ味がすごいとしか表現できない」と僕がいう意味をわかって頂けると思います。漆黒の硬質な花崗岩をダイヤモンドのドリルで掘り込んで行く様な演奏です。。。ちなみに有名な「別れの曲」も同曲集の中の一曲です。

Maurizio Pollini "Etude" Fryderyk Chopin

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次、ラヴェルの弦楽四重奏曲です。演奏はアルバンベルク。


弦楽四重奏とは、ヴァイオリン×2+ヴィオラ+チェロの弦楽奏者四人だけで演奏する音楽形式のことです。弦楽器は通常、同時に一つの音しか出せません(重奏という、同時に二つ以上の弦を弾く奏法もあるにはあるけど、無茶苦茶難しくなる)。つまり、弦楽四重奏という形式を用いる限り、同時に出せる音数は四つという制約がつきまとうことになります。

一方で、西洋音楽で用いる和音は最低でも3つの音を必要とします。例えばハ長調の主和音であればドミソ、属和音であればソシレという音が必要で、このうちの一つでも抜いてしまうと和音として機能しなくなります(感情を喚起できなくなる)。更に、少し高度な表現をしようと思うとすぐにセブンスやナインスの音、ハ長調の属和音であればソシレファの四つの音あるいはソシレファラの五つの音が必要になります。しかし、同時に出せる音は四つしかない。

これはつまり何を意味しているかというと、弦楽四重奏というのは、音楽の表情を作り上げていくに当たって本当にギリギリの音数しか出せないということなのです。絵画で言う素描みたいなもので従って音楽家の力量がもろに出ます。ちなみに芸大作曲科の入試では弦楽四重奏曲の作曲が実技試験で課されますが(僕が作曲の勉強していた頃なので、今は変わっているかも知れません)、それも上記の故です。

なので様々な作曲家が様々な四重奏曲を書いているのですが、その分、曲数も多いし高度な書かれ方をしていることが多いので初心者がうかつに手を出すと「なんだかよくわからないな」となってしまうケースが多い。例えば、ベートーヴェンの後期、あるいはブラームスの弦楽四重奏曲などはとてもいい曲があるのですが、なかなか最初から良さを感じるのは難しいと思います。

で、僕の経験から、まず大概の人が「これはカッコいいね〜」と言ってくれるのがラヴェルの弦楽四重奏曲です。この曲、先日のパリコレでも某メゾンのランウェイでかかっていたので、それくらいキャッチーだということなんでしょう。出だしの和音が溶けるようでしょう?



ちなみにアルバンベルクは先日解散してしまいましたが、弦楽四重奏曲を買うのであれば、彼らの演奏であれば100%間違いがないと覚えておいていいでしょう。

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最後は、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」です。指揮はブーレーズ、オケはクリーヴランド管。


変わった題名ですよね。由来はいろいろと議論があるようですが、ドビュッシーがなぜこのような名前を付けたのかはよく分かっていない様です。この曲は、もちろん聴いても素晴らしいのですが、音楽学的な側面でも非常に重要な位置を占めている曲です。

これまでずっと紹介してきたバッハからショパンまでは、基本的に和声法の古典的なルールに則って書かれているのですが、ドビュッシーはその技法から初めて離れて音楽芸術が成立することを証明した人物です。僕らは音楽を聴くときに、実は微妙に一瞬先に来るであろう音を予測しながら聴いているのですが、ドビュッシーはその期待をことごとく裏切る音運びをします。

専門的には機能和声といいますが「この和音とこの和音をつなげるとこの様な気持ちになる」というパターンを集めた辞書の様なものがあって、作曲の勉強をする人は、まずこの和音連結の辞書を覚えていくことから始めるのですが、ドビュッシーという人はこの辞書に頼らずに音楽を作る、ということを近代以降で初めて試みた人の一人です。

その様な音楽が実際にどのように響くか?例えばこの「牧神の〜」を聴いてもらえば、最初の10秒で、これまで紹介した伝統的な西洋音楽とは何か根本的に作られ方が違う、ということに気付くはずです。白昼夢の中を漂う様な、それは絵画で言えば例えばルノアールの描く木漏れ日の中に居る様な、不思議な感覚です。


最終的には実際に聴いてもらわないと何とも説明の仕様がないのですが、生理的にこうなると気持ちいいな、というのを裏切りながらなお快楽をもたらすという離れ業をやってのけたわけで、この曲が世の中に出て来たときの音楽関係者の衝撃はいかばかりであったろうと思われます。

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ということで、とりあえず鉄板の15枚をご紹介しました。反響があるようであればまた別の機会に別の15枚を紹介したいと思います。

では、また。

1 comment:

  1. クラシック音楽に興味はあったのですが、どこから手を付けて良いか分からず途方に暮れていました。素晴らしい選曲を有難うございます。
    次の15枚も楽しみにしています!

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