Sunday, February 17, 2013

日本におけるフォロワーシップの重要性

なぜ日本ではリーダーがなかなか育たないのでしょうか?

先ほど久しぶりに自分で作ったカレーを食べながらフと思ったのですが、その理由は、そもそも論として「誰もリーダーの登場なんて望んでいない」から、さらに言えば「みんなリーダーを嫌ってる」から、なのかも知れないなあ、と。

これは、いろいろなところで僕は書いたり話したりしていますが、リーダーシップというのはスキルやケイパビリティといった自己完結的な能力と異なって、周囲や環境との作用によっていわば文脈依存的に発生するものです。

平たく言えば、誰かが何かを始めて、周囲の人がその人に付き従いはじめることで、初めてそこにリーダーシップは生まれる、ということです。周囲がついていく、つまりそこにリーダーシップと対になるフォロワーシップが生まれなければ、リーダーシップは生まれません。リーダーシップはフォロワーシップと表裏一体になって同時に生成されるものなんです。

この「周囲が認める」という点に、日本のリーダーシップの問題があるように思うんですよね。なかなか、リーダーの登場を認めたがらない。だから日本のリーダーはほとんどが権力とひもづく形で登場するでしょう?権力とひもづくから(本当は嫌なんだけど)リーダーとして認めざるを得ない、ということです。

でも、過去の世界の歴史を振り返れば、世の中をひっくり返す様な変革を導いたリーダーの多く、例えばガンジーやキング牧師、マザーテレサといった人たちは権力と無縁だったことがわかります。

なぜ、日本からは「権力に根ざさないリーダー」が生まれてこないのか?この問題の根には「ルサンチマン=やっかみ」があるのではないでしょうか。

これは先日のポストにも書きましたが、西欧におけるリーダーの生成には強くキリスト教の予定説の考え方が作用していると僕は考えています。また「ここではないどこか」への移動が常に求められる遊牧民や狩猟民では、「行くべき場所」を指図するリーダーへのフォロワーシップはコミュニティの存続に死活的なインパクトを与える問題だったでしょう。やっかんでリーダーの足を引っ張る様なことをしてたら自分も不利益を被るわけで、そういう意味ではこれは文化的なリテラシーだと言えます。

ところが日本では、上から指名された訳でもないのに「ここはこうするべきだと思う」とか「これは問題だと思います」といったことを言ったりやったりし始めると、どうも周囲から「浮き」はじめてしまう、というか周囲が「浮かせ」てしまう面があります。これは、上をたてることを美徳とする儒教の影響というのもあるのかも知れません。

一橋大学で歴史学を教えていた阿部謹也先生は「日本は西洋から「文明」を導入することには一応成功したけど「文化」の導入には失敗した。これが、日本が抱えている様々な不整合を生み出す遠因になっている」と「歴史家の自画像」の中で言っています。


翻って考えれば、僕らが依拠している経営システムも海外から導入されたものですが、しかしその運営に絶対的に求められるリーダーシップは導入されておらず、また育成の仕組みを構築しようという意見もない。経済産業省が2010年に発表したグローバル人材モデルの要件には、語学力や論理的思考力といったアホらしいことが羅列されていますが、驚くべきことに「リーダーシップ」という言葉は一言も出てきません。

http://www.meti.go.jp/policy/economy/jinzai/san_gaku_ps/2010globalhoukokusho_summary.pdf

要するに「リーダーが嫌い」なんだ、としか考えられない。

ただ、これではリーダーはやはり生まれて来ませんよね。何か、言い出したりやり始めたりした人が居て、その人の言っていること、やっていることが正しいと思ったら、恥ずかしがったり周囲の空気を読んだりしないで、素直についていくこと。このフォロワーシップこそが、日本のリーダーシップ育成の最大の鍵なのではないかと思うんですよね。

最近、この「リーダーシップとフォロワーシップ」について、もっとも考えさせられたのが、この「宇宙飛行士選抜試験」という本です。題名通り、JAXAの宇宙飛行士選抜試験のプロセスをルポルタージュした本なのですが、試験の過程で受験者が発揮するリーダーシップとフォロワーシップと、それを評価する試験官の視点が非常に面白い。

宇宙飛行士選抜試験において、受験者は、最終試験として模擬的に作られた宇宙ステーションの中に入り、一週間の間、チーム単位で過酷な課題をこなしていくという「閉鎖環境試験」を課されます。このチームには指名されたリーダー、つまり前述した意味での「権力者」は存在しません。課題ごとに、どのようにしてリーダーを決定し、フォロワーシップが生まれるか?そこが大きな論点になってきます。

受かるのはごく数人ですから、誰でもリーダーシップを発揮してアピールしたいという衝動にかられます。しかし、試験官の視点は各人のリーダーシップがどのように発揮されるか、という点にのみあるわけではありません。「自分よりこの課題についてリードするにふさわしい」と判断した場合、即座にリーダーを補佐するフォロワーに回れる様な柔軟なフォロワーシップを発揮できるかどうか?も大きな着眼点になっています。

端的に、宇宙ステーションに実際に行ったとして、この人はチームの一員として、チームのバリューを最大化させるような動き方が出来るだろうか?という点を見ているわけです。

リーダーシップとフォロワーシップを考えるにはとてもいい題材だと思いますので、興味のある向きには是非。

No comments:

Post a Comment