Friday, September 14, 2012

ダブルメジャーの薦め

イノベーションでは多様性が重要になる、とよく言われます。

なぜ多様性が重要かというと、異なるアイデアが出会うところにこそ新しいアイデアが生まれるから、というのが良く言われる理由です。

確かに、ビジネスにおいて「新しいものの組み合わせ」はアイデアを得るための有効な方法論と考えられていますが、では、このアプローチは「イノベーションが真に求められる領域=科学」においても成り立つような普遍性のある仮説なんだろうか、と考えて少し調べているのですが・・・これがなかなか面白い。

例えば、2010年にワシントンで行われた米国科学振興協会(AAAS=科学雑誌Scienceの発行母体)のカンファレンスで、同会会長のアラン・レシュナーは「専門分野別の科学はもう死んだ」と主張しています。

レシュナーによれば「近年の主要な科学の進歩は、複数分野が関わっているケースがほとんどで、著者が一人だけという論文自体が最近は珍しいし、著者が複数の場合、それぞれが異なる分野の研究者であることが非常に多くなってきた」というのです。

うーん・・・

確かに、これと同様のことは以前から指摘されていました。

例えば、米国の科学史家トーマス・クーンは1962年に出版された彼の主著、そして歴史的名著である「科学革命の構造」において

「本質的な発見によって新しいパラダイムへの転換を成し遂げる人間のほとんどが、年齢が非常に若いか、或いはその分野に入って日が浅いかのどちらかである」

と指摘しています。

レシュナーは複数の科学者について、クーンは単独の科学者について述べているわけですが、両者の主張は基本的に「異なる分野のクロスオーバーするところにこそイノベーティブな思考が生まれる」ということで一致しています。

確かに、近年において科学界を揺るがす様な成果を挙げた科学者には「ダブルメジャー」が多数観察されます。

例えばチャールズ・ダーウィン。

ダーウィンは進化論における、いわゆる自然選択説を提唱したことで知られているため、一般には生物学者として認識されていますが、最初から生物学者だったわけではなく、しかも本人によれば最後まで生物学者ではありませんでした(本人は死ぬまで地質学者と名乗っていた)。

ダーウィンは、もともと大学で医学を志していました。しかし、なかなか身が入らず、途中で180度方向を変えて神学部に転部して牧師を目指したりしています。しかし結局こちらも本気になれず、最終的に昔から好きだった地質学の研究を行う様になります(もともと地質学をやりたかったのに、成功した医師だった父親の希望を横眼でにらみながら学部を選択したため、どれも中途半端になったということらしい。牧師になろうとしたのも、牧師だったら余暇が沢山あるだろうから、その時間を使って博物学の研究が出来るというのが理由だったそうで、キャリア論の専門家としては「ちょっとソコに座れ」と言いたくなる)。

その後は、よく知られている通りビークル号に乗り込んでガラパゴス諸島を訪れ、そこで自然選択説の最初のインスピレーションを得ることになるわけですが、ここで注意してほしいのが、生まれてから自然選択説を発表するまで、ダーウィンは結局のところ一度も「生物学者」だったことがない、という点です。

人類史上、最も科学に大きな影響を与えた生物学上の仮説が、生物学者ではなく、地質学者から提出された。

この事実は、イノベーションというものを考察するに当たってトテツモなく重大な何かを示唆しています。実際のところ、ビークル号には別に生物学専門の科学者も乗り込んでいました。しかし、この生物学者は集めた標本をそれまでの生物分類に沿って整理することに熱中していて、ダーウィンが抱いた様な仮説を持つに至りませんでした。

なぜ専門の生物学者がこの仮説に気づかず、ダーウィンが気づいたのか?

それはまさに「彼が専門の生物学者でなかったから」なのでしょう。

ダーウィンは、自然選択説を思い当たるに当たって、二つのインプットが重大な契機になったと述懐しています。

一つはライエルの「地質学原理」でした。同著にある「地層はわずかな作用を長い期間蓄積させて変化する」というフレーズに接し、動植物にも同様なことが言えるのではないか、という仮説をダーウィンは考えたらしいのです。

そしてもう一つが、マルサスの「人口論」です。「食糧生産は算術級数的にしか増えないのに人口は等比級数で増えるため、人口増加は必ず食料増産の限界の問題から頭打ちになる」という有名な予言=「マルサスの罠」を提唱した著作ですが、この本を読んでダーウィンは、食料供給の限界が常に動物においても発生する以上、環境に適応して変化することが種の存続において重要であるという仮説を得ています。

そしてこれら二つの仮説が、結局「自然選択説」という理論に結晶化するわけですが、ダーウィン自身の専門も、また彼にインスピレーションを与えた書籍も、どちらも「生物学」に無縁であったということに注意して下さい。

ダーウィンは、クーンの言う「パラダイム転換を成し遂げる人間のほとんどが、その分野に入って日が浅い人物だ」という指摘の正しさを証明する代表的サンプルと言えます。

こういったことは他分野においてもよく見られます。

例えば、20世紀の科学界において、なぜ恐竜は絶滅したのかということは長い間大きな謎でした。理由としては、恐竜が花粉症になったという説から、新しく出現した哺乳類との競争に負けたという説、ただ単に体が巨大になりすぎたという説まで、いくつもの仮説・珍説が大真面目に議論されました。

そんな中、白亜紀の終わりに直径10キロの隕石が地球に衝突して、これが恐竜絶滅の原因になったのではないかという仮説を出したのが、ノーベル物理学賞受賞者のルイ・アルバレスでした。

その仮説とは、「隕石の衝突によって大量の粉塵が空高く舞い上がり、これが地球の大気をすっぽり覆って太陽光を遮断したために地球の気温が下がり、やがて進化の系統樹の枝を丸ごとボッキリ折る様にして恐竜を絶滅においやった」というのです。

この仮説は、結局現在において恐竜の絶滅を説明するためのもっとも有力な仮説とされています。

もちろん、多くの古生物学者は、長い地球の歴史の中で、多くの小惑星や隕石が地球に衝突していたことを知っていました。では、なぜ、彼らは恐竜絶滅の原因として、隕石説を提案しなかったのでしょうか?

一言で言えば「思いつかなかった」ということです。

何故、多くの古生物学者が気づかなかった仮説に、アルバレスは気づいたのでしょうか?

これにはアルバレスの息子がどうも関わっている様です。アルバレスの息子は地質学者でした。アルバレスは地質学者の息子とともに、白亜紀から第三紀の境界の粘土層に含まれるイリジウムの濃度が際立って高いことを発見し、この時期に巨大な隕石が地球に落ちた公算が強いこと、その時期が恐竜絶滅の時期と重なっていることから、これが恐竜絶滅の主要因ではないか、という仮説を持つに至ったのです。

ダーウィンの時と同様、ここでも「物理学(天文学)」と「地質学」が出会うことで、もともと関係のなかった「古生物学」における重大な仮説が提示されている、ということに注意して下さい。

さすがにくどくなってきたのでここらでやめにしますが、こういった例は枚挙にいとまがありません。DNAのらせん構造を発見したクリックも、もともとは物理学が専門だったしね。

日本では「一意専心」とか「この道一筋」といった態度が尊ばれますよね?

高校生も、野球部に入ったら野球だけ、卓球部に入ったら卓球だけ、というのが常識ですが、米国ではシーズンごとに夏は野球、冬はバスケットボールとスポーツを分けるのが当たり前で、ここらへんにも「ダブルメジャーカルチャー」の浸透度の違いが見える気がします。

日本がイノベーションで停滞しているのも、この「ダブルメジャー忌避」の心性にもしかしたらその原因があるのかも知れません。

Wednesday, September 12, 2012

結婚相手選びの数学

意思決定における満足化ヒューリスティックの問題の中に、有名な「秘書問題」というのがあります。

ここに100人の秘書候補がいます。採用者側としては、この中で是非とも一番優秀な秘書を採用したいわけですが、試験の都合上、一人一人と順番に面接し、その場で採用/不採用の通知をしなければなりません。不採用を通知した人は、後からそれを撤回して採用することは出来ません。

さて、ここで問題です。この100人の中から、最も優秀な人材を採用するためには、どのような選択をすればいいでしょうか?

統計学者のジョン・ギルバートとフレデリック・モステラーは、1966年にこの問題に対して数学的な解を与えました。

それは下記の通りです。

1:まず最初の37人は、どんなに優秀だと思っても採用しない
2:次に38人目以降で、最初に会った37人より優秀だと思える人が現れたら、この人を採用する

この様に選択することで、この100人の中から最優秀な人材を採用できる期待値が最大化されます。

この考え方は、色々なシチュエーションに適用できますよね。

例えば、レストラン選び。

パリを訪れてレストランを探していて、腹具合からすると、あと一時間くらいでレストランを決めてしまいたい。

一時間で10件くらいのレストランを見て回れるとして、もっともいいレストランを選択できる可能性を高めたいとすれば・・・

最初の3件は見るだけにして、4件目以降で最初の3件より素敵だと思えたレストランがあったら、そこに入る、というのが解になります。

・・・・・・・・・

ということで最後に、この満足化ヒューリスティックの問題を結婚に当てはめて考えてみます。

生涯で深く付き合うことになる恋人が10人現れるとして、この中の何番目で結婚を決意するか、という問題ですね。

この場合、解としては

1:まず最初の3人は、どんなに素敵だと思っても結婚しない
2:次に4人目以降で、最初の3人より素敵だと思える人が現れたら、その人と結婚する

ということになります。

独身の皆さん・・・いま付き合っている人、生涯で何番目ですか?

もし相手が4番目以降で、以前の恋人よりその方が素敵だと思えるのなら、

迷わず結婚せよ

というのが、数学上の解ですよ。

うーん・・・・

ちなみに心理学や実験経済学では、この「秘書問題」を実際の人間を使って実験し研究してきているのですが、その結果として、

人は、多くの場合、あまりにも早く決定を下してしまう

ということが分かっています。

これは対象を評価するコストがその理由の一部と考えられています。

この結果を実世界に適用して考えてみると、人間は逐次的に判断を下す必要のある場面で十分に検討しないまま、意思決定を行ってしまっている可能性があることが示唆されます。

この示唆を、結婚相手選びという文脈で考えれみれば、人は

選び過ぎて良い相手を逃してしまうよりも、短兵急にイマイチな相手と結婚してしまう

ことが多いということになりますが・・・・さてさて。


Tuesday, September 11, 2012

年功序列制度の限界と、新しい「わからない方」


年功序列制度には功罪があって、そう単純に「いい」とか「悪い」とか、決着を付けられるものでもないと思うのですが、こと「イノベーションを促進する」という観点からすると、今後、この制度は相当に足を引っ張ることになるだろうな、と思っています。

というのも、これだけ世の中の変化が早くなってしまうと、10年前の業務経験というものは、価値が殆どないどころか、むしろ害悪になってしまう可能性があるからです。

例えば、僕が昔従事していた広告販促のプランニングは、これだけソーシャルメディアや携帯電話、デジタルサイネージが普及した今ではすっかり様変わりしてしまっているだろうことは容易に想像ができます。こういう時代に、昔の成功体験を持ち込まれて「ああだこうだ」と小煩いアドバイスをする管理職なんてむしろ邪魔なだけでしょう。

これは、逆に言えば、いま現場で業務に携わっている若手が、日々の業務から学んでいるノウハウやスキルも、10年後にはオブソリートなものになってしまう、ということです。

この様な時代において、僕らは「学習」というものをどのように考えたらいいのか、という問題が出てきます。

これは全然まだ整理出来ていないのですが、恐らく、二つのことが鍵になってくるだろうと思っています。

一つ目は、日々の業務体験から、抽象度を高めた学びを得て行くことが重要になって来る、ということです。仕事や学習から得られた表面的なスキルやノウハウはあっという間に陳腐化してしまうわけですから、いかに「汎用性の高い学び」を日々の体験や学習から得て行くかが鍵になってきます。

これは、一つの職業でキャリアを全うすることが難しくなってきているという点からも重要な能力です。ある職業経験で得られた表面的なスキルやノウハウは、その職業の中でしか価値を創出しません。こういった学びを蓄積していった人が、ある日突然「キャリアショック」(=不可避の理由によって大きく仕事内容が変化する事態)を経験したら、トランジットはとってもタフな体験になってしまいます。

二つ目は、学んだことを捨てて再学習する力です。

どんどん社会環境が変化してスキルやノウハウが陳腐化していく以上、「過去に学んだ知識を捨てて学び直す」ということに対して柔軟であることが求められます。

福沢諭吉は適塾でオランダ語をマスターしましたが、横浜を訪問したところ、オランダ語を話す人が殆どおらず、英語を話す人ばっかりだったのを見てショックを受け、その後すぐに英語の学習を開始していますね。数年かけてマスターした語学が実は世界的にはスタンダードではなかったことが判明する、というのはかなり凹む状況だと思うんですが、横浜でこの状況に直面した福澤は相当嬉しそうだったそうなので、まあ「学んだことを捨てて(別に捨ててないけど)新たに学び直す」というのが、本当に自然に出来た人だったんでしょうね。

で、そこでは「わかっていない」ことを、いかに「わかっていない」か、正確に把握する能力、言わば

新しい「わからない方」

が必要になって来ると思っています。

デザイナーの原研哉さんは、知ってると思うことをいかに知らないかをきちんと認識する、「Information」ではなく「Exformation」が大事なんだ、と言っていますが、ほんと、そういう時代がもう来ちゃっているんですよね。

一方で、そういう状況下において、キャリア教育と言えば、相も変わらず戦略とか財務とかマーケティングとかを一生懸命教えるだけで、本質的で汎用的な「学びをつかみ取る力」、「学んだスキルやノウハウを捨てる力」、新しい「わからない方」を全然教えられていない、というのも何なんだという気がしています。

僕が手伝っているグロービスも、旧態依然としたMBAのカリキュラムを提供していますが、役に立たないとは言わないものの、本当に大事なものは、そういうことじゃないんじゃないか、という気が最近はしているんですよね。何か、ああいう表層的な知識の下に、より時代の変化に対して堅牢でタフなコンテンツというものがあるのに、誰もそれをきちんと提供出来ていないんですよね。