Thursday, October 25, 2012

経営学はゴミ以外のモノを残せるか?

20世紀が終わって、21世紀も最初の10年を経過しましたが、さて21世紀は「人類の遺産」と言える様なものをどれだけ残せるだろうか?と考えるとなかなか暗澹とした気持ちになってしまいます。

米国で生みだされた経営学が世界を席巻することで、人類はますます「何も残せない社会」になっていくだろうなあと、改めて思うからです。

ファイナンス理論を勉強した人はよくご存知の通り(勉強というか、本を2〜3冊読めば十分理解出来る程度の奥行きですが)、企業価値は、なるべく短期間に商品を陳腐化させ、再購買してもらうことで大きくなる、という性格を持っています。

再購買、つまり一度買ったものを、いかに速く「ゴミ」にさせるか、という論点です。

例えばアップルとスタインウェイを比べてみるといい。スタインウェイのグランドピアノは、未だに50年前に製造されたものが高額な値を付けて中古マーケットで取引されています。スタインウェイのピアノが提供する実質的な便益は恐らく100年経っても殆ど変わらない、どころかむしろアンティークとして高まっていくことさえある。

一方で、現在世界最高の時価総額を謳歌しているアップルの製品の100%は、間違いなく50年後には、粉砕されてゴミ処理場に埋められて環境汚染の元凶になっているでしょう。

こう書くと「でも殆どの商品はいずれゴミになるわけで、スタインウェイの様な会社が特殊なんじゃないの?」という疑問が呈されるかも知れません。

そうその通りなのです。

スタインウェイも含めて、僕らが膨大な英知と労力を注いで日々生み出している商品は、長い目で見れば全てゴミになります。結局僕らは、究極のところ「いずれゴミになる、今現在は○○と呼ばれるモノ」を作って売っているに過ぎません。

問題は、それがどれくらいの時間でゴミになるか?ということです。

この点について僕が指摘しているのは、

1:アップルの製品は10年でほぼ100%ゴミになるけど、スタインウェイのピアノは10年後もほぼ100%、新品時と同じ便益を維持している

ということと

2:1の結果として、アップルの時価総額はスタインウェイより大きい

ということです。

つまり、ファイナンス理論に則って抽象化すれば、

3:パッと見、ものすごくクールに見えたり格好良く見えたりするものを作り
4:実はすぐに価値がなくなってゴミになるものを作って売る

というのを繰り返すことが、時価総額を大きくするには大事だ、ということです。

ゴミになる期間を短くすればする程、企業価値は大きくなり経営者は礼賛される。

そしてそういうテクニック=経営学をしっかり学んでいる人ほど、転職市場で高く評価される。

こういった現状を鑑みると、21世紀の世界が、人類にとっての遺産と言える様なものを残せるとは、とても思えないわけです。

20世紀において経済活動の規模は歴史上最大になったけれども、人類にとって本当に豊かな遺産を、その経済規模に見合った量だけ残せたか?と聞かれて、貴方はどう思いますか?

あるいは20世紀の100年間を通じて、一貫して最大の経済規模を誇った米国が、人類にとって本当に宝と言える様な文化やプロダクト、それはつまり平安文化やルネサンスやロマン主義が僕らに残してくれたような音楽や絵画や文物ということですが、をどれくらいその「規模に見合ったかたち」で残せているのか?と聞かれて、貴方はどう思いますか?

別に解があるわけではないですし、自分もその米国流の経営学の枠組みに則って日々コンサルティング業務を行っているので、忸怩たるものがあるのですが、少なくとも自分が立脚してる、あるパラダイムが、上述した様な極めて重大な問題をその構造に孕んでいるということに、我々は意識的であるべきだと、僕は思っています。

この根本的な構造的矛盾をなんとかしない限り、あまり明るい未来は人類にはないんじゃないか、と思うんですけどね。。。。

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