ダブルメジャーの薦め

イノベーションでは多様性が重要になる、とよく言われます。

なぜ多様性が重要かというと、異なるアイデアが出会うところにこそ新しいアイデアが生まれるから、というのが良く言われる理由です。

確かに、ビジネスにおいて「新しいものの組み合わせ」はアイデアを得るための有効な方法論と考えられていますが、では、このアプローチは「イノベーションが真に求められる領域=科学」においても成り立つような普遍性のある仮説なんだろうか、と考えて少し調べているのですが・・・これがなかなか面白い。

例えば、2010年にワシントンで行われた米国科学振興協会(AAAS=科学雑誌Scienceの発行母体)のカンファレンスで、同会会長のアラン・レシュナーは「専門分野別の科学はもう死んだ」と主張しています。

レシュナーによれば「近年の主要な科学の進歩は、複数分野が関わっているケースがほとんどで、著者が一人だけという論文自体が最近は珍しいし、著者が複数の場合、それぞれが異なる分野の研究者であることが非常に多くなってきた」というのです。

うーん・・・

確かに、これと同様のことは以前から指摘されていました。

例えば、米国の科学史家トーマス・クーンは1962年に出版された彼の主著、そして歴史的名著である「科学革命の構造」において

「本質的な発見によって新しいパラダイムへの転換を成し遂げる人間のほとんどが、年齢が非常に若いか、或いはその分野に入って日が浅いかのどちらかである」

と指摘しています。

レシュナーは複数の科学者について、クーンは単独の科学者について述べているわけですが、両者の主張は基本的に「異なる分野のクロスオーバーするところにこそイノベーティブな思考が生まれる」ということで一致しています。

確かに、近年において科学界を揺るがす様な成果を挙げた科学者には「ダブルメジャー」が多数観察されます。

例えばチャールズ・ダーウィン。

ダーウィンは進化論における、いわゆる自然選択説を提唱したことで知られているため、一般には生物学者として認識されていますが、最初から生物学者だったわけではなく、しかも本人によれば最後まで生物学者ではありませんでした(本人は死ぬまで地質学者と名乗っていた)。

ダーウィンは、もともと大学で医学を志していました。しかし、なかなか身が入らず、途中で180度方向を変えて神学部に転部して牧師を目指したりしています。しかし結局こちらも本気になれず、最終的に昔から好きだった地質学の研究を行う様になります(もともと地質学をやりたかったのに、成功した医師だった父親の希望を横眼でにらみながら学部を選択したため、どれも中途半端になったということらしい。牧師になろうとしたのも、牧師だったら余暇が沢山あるだろうから、その時間を使って博物学の研究が出来るというのが理由だったそうで、キャリア論の専門家としては「ちょっとソコに座れ」と言いたくなる)。

その後は、よく知られている通りビークル号に乗り込んでガラパゴス諸島を訪れ、そこで自然選択説の最初のインスピレーションを得ることになるわけですが、ここで注意してほしいのが、生まれてから自然選択説を発表するまで、ダーウィンは結局のところ一度も「生物学者」だったことがない、という点です。

人類史上、最も科学に大きな影響を与えた生物学上の仮説が、生物学者ではなく、地質学者から提出された。

この事実は、イノベーションというものを考察するに当たってトテツモなく重大な何かを示唆しています。実際のところ、ビークル号には別に生物学専門の科学者も乗り込んでいました。しかし、この生物学者は集めた標本をそれまでの生物分類に沿って整理することに熱中していて、ダーウィンが抱いた様な仮説を持つに至りませんでした。

なぜ専門の生物学者がこの仮説に気づかず、ダーウィンが気づいたのか?

それはまさに「彼が専門の生物学者でなかったから」なのでしょう。

ダーウィンは、自然選択説を思い当たるに当たって、二つのインプットが重大な契機になったと述懐しています。

一つはライエルの「地質学原理」でした。同著にある「地層はわずかな作用を長い期間蓄積させて変化する」というフレーズに接し、動植物にも同様なことが言えるのではないか、という仮説をダーウィンは考えたらしいのです。

そしてもう一つが、マルサスの「人口論」です。「食糧生産は算術級数的にしか増えないのに人口は等比級数で増えるため、人口増加は必ず食料増産の限界の問題から頭打ちになる」という有名な予言=「マルサスの罠」を提唱した著作ですが、この本を読んでダーウィンは、食料供給の限界が常に動物においても発生する以上、環境に適応して変化することが種の存続において重要であるという仮説を得ています。

そしてこれら二つの仮説が、結局「自然選択説」という理論に結晶化するわけですが、ダーウィン自身の専門も、また彼にインスピレーションを与えた書籍も、どちらも「生物学」に無縁であったということに注意して下さい。

ダーウィンは、クーンの言う「パラダイム転換を成し遂げる人間のほとんどが、その分野に入って日が浅い人物だ」という指摘の正しさを証明する代表的サンプルと言えます。

こういったことは他分野においてもよく見られます。

例えば、20世紀の科学界において、なぜ恐竜は絶滅したのかということは長い間大きな謎でした。理由としては、恐竜が花粉症になったという説から、新しく出現した哺乳類との競争に負けたという説、ただ単に体が巨大になりすぎたという説まで、いくつもの仮説・珍説が大真面目に議論されました。

そんな中、白亜紀の終わりに直径10キロの隕石が地球に衝突して、これが恐竜絶滅の原因になったのではないかという仮説を出したのが、ノーベル物理学賞受賞者のルイ・アルバレスでした。

その仮説とは、「隕石の衝突によって大量の粉塵が空高く舞い上がり、これが地球の大気をすっぽり覆って太陽光を遮断したために地球の気温が下がり、やがて進化の系統樹の枝を丸ごとボッキリ折る様にして恐竜を絶滅においやった」というのです。

この仮説は、結局現在において恐竜の絶滅を説明するためのもっとも有力な仮説とされています。

もちろん、多くの古生物学者は、長い地球の歴史の中で、多くの小惑星や隕石が地球に衝突していたことを知っていました。では、なぜ、彼らは恐竜絶滅の原因として、隕石説を提案しなかったのでしょうか?

一言で言えば「思いつかなかった」ということです。

何故、多くの古生物学者が気づかなかった仮説に、アルバレスは気づいたのでしょうか?

これにはアルバレスの息子がどうも関わっている様です。アルバレスの息子は地質学者でした。アルバレスは地質学者の息子とともに、白亜紀から第三紀の境界の粘土層に含まれるイリジウムの濃度が際立って高いことを発見し、この時期に巨大な隕石が地球に落ちた公算が強いこと、その時期が恐竜絶滅の時期と重なっていることから、これが恐竜絶滅の主要因ではないか、という仮説を持つに至ったのです。

ダーウィンの時と同様、ここでも「物理学(天文学)」と「地質学」が出会うことで、もともと関係のなかった「古生物学」における重大な仮説が提示されている、ということに注意して下さい。

さすがにくどくなってきたのでここらでやめにしますが、こういった例は枚挙にいとまがありません。DNAのらせん構造を発見したクリックも、もともとは物理学が専門だったしね。

日本では「一意専心」とか「この道一筋」といった態度が尊ばれますよね?

高校生も、野球部に入ったら野球だけ、卓球部に入ったら卓球だけ、というのが常識ですが、米国ではシーズンごとに夏は野球、冬はバスケットボールとスポーツを分けるのが当たり前で、ここらへんにも「ダブルメジャーカルチャー」の浸透度の違いが見える気がします。

日本がイノベーションで停滞しているのも、この「ダブルメジャー忌避」の心性にもしかしたらその原因があるのかも知れません。