年功序列制度の限界と、新しい「わからない方」


年功序列制度には功罪があって、そう単純に「いい」とか「悪い」とか、決着を付けられるものでもないと思うのですが、こと「イノベーションを促進する」という観点からすると、今後、この制度は相当に足を引っ張ることになるだろうな、と思っています。

というのも、これだけ世の中の変化が早くなってしまうと、10年前の業務経験というものは、価値が殆どないどころか、むしろ害悪になってしまう可能性があるからです。

例えば、僕が昔従事していた広告販促のプランニングは、これだけソーシャルメディアや携帯電話、デジタルサイネージが普及した今ではすっかり様変わりしてしまっているだろうことは容易に想像ができます。こういう時代に、昔の成功体験を持ち込まれて「ああだこうだ」と小煩いアドバイスをする管理職なんてむしろ邪魔なだけでしょう。

これは、逆に言えば、いま現場で業務に携わっている若手が、日々の業務から学んでいるノウハウやスキルも、10年後にはオブソリートなものになってしまう、ということです。

この様な時代において、僕らは「学習」というものをどのように考えたらいいのか、という問題が出てきます。

これは全然まだ整理出来ていないのですが、恐らく、二つのことが鍵になってくるだろうと思っています。

一つ目は、日々の業務体験から、抽象度を高めた学びを得て行くことが重要になって来る、ということです。仕事や学習から得られた表面的なスキルやノウハウはあっという間に陳腐化してしまうわけですから、いかに「汎用性の高い学び」を日々の体験や学習から得て行くかが鍵になってきます。

これは、一つの職業でキャリアを全うすることが難しくなってきているという点からも重要な能力です。ある職業経験で得られた表面的なスキルやノウハウは、その職業の中でしか価値を創出しません。こういった学びを蓄積していった人が、ある日突然「キャリアショック」(=不可避の理由によって大きく仕事内容が変化する事態)を経験したら、トランジットはとってもタフな体験になってしまいます。

二つ目は、学んだことを捨てて再学習する力です。

どんどん社会環境が変化してスキルやノウハウが陳腐化していく以上、「過去に学んだ知識を捨てて学び直す」ということに対して柔軟であることが求められます。

福沢諭吉は適塾でオランダ語をマスターしましたが、横浜を訪問したところ、オランダ語を話す人が殆どおらず、英語を話す人ばっかりだったのを見てショックを受け、その後すぐに英語の学習を開始していますね。数年かけてマスターした語学が実は世界的にはスタンダードではなかったことが判明する、というのはかなり凹む状況だと思うんですが、横浜でこの状況に直面した福澤は相当嬉しそうだったそうなので、まあ「学んだことを捨てて(別に捨ててないけど)新たに学び直す」というのが、本当に自然に出来た人だったんでしょうね。

で、そこでは「わかっていない」ことを、いかに「わかっていない」か、正確に把握する能力、言わば

新しい「わからない方」

が必要になって来ると思っています。

デザイナーの原研哉さんは、知ってると思うことをいかに知らないかをきちんと認識する、「Information」ではなく「Exformation」が大事なんだ、と言っていますが、ほんと、そういう時代がもう来ちゃっているんですよね。

一方で、そういう状況下において、キャリア教育と言えば、相も変わらず戦略とか財務とかマーケティングとかを一生懸命教えるだけで、本質的で汎用的な「学びをつかみ取る力」、「学んだスキルやノウハウを捨てる力」、新しい「わからない方」を全然教えられていない、というのも何なんだという気がしています。

僕が手伝っているグロービスも、旧態依然としたMBAのカリキュラムを提供していますが、役に立たないとは言わないものの、本当に大事なものは、そういうことじゃないんじゃないか、という気が最近はしているんですよね。何か、ああいう表層的な知識の下に、より時代の変化に対して堅牢でタフなコンテンツというものがあるのに、誰もそれをきちんと提供出来ていないんですよね。