Tuesday, August 14, 2012

お金とプライド



組織開発の実務家にとって、報酬というのは非常に扱いの難しい微妙なものだな、ということを改めて感じています。

お金は、そのもらい方によって自分そのものを変えてしまうという、非常に厄介な性質を持っています。

例えば、離婚における慰謝料。

慰謝料は多いにこしたことはない、たくさんもらった方が独立して生活を軌道に乗せるのだって早いはずだ、と浅薄な合理主義者は考えがちです。しかし、この考え方は「お金」というものの厄介さを全く理解出来ていないとても危険なものと言えます。

実は、慰謝料はもらえばもらう程、その後で離婚の傷跡を引きずってしまい、うまくトランジット出来ない、という傾向があることが知られています。

どうしてそうなるのでしょうか?

「慰謝料の額面が、自分のプライドの値段なんだ」

と無意識に認めてしまうからです。

ところが本人としては、自分の傷ついた体験というのはこんなものじゃない、こんな金額で私の気持ちをリセットなんて出来ない、とも思っているわけですから、これは大変混乱することになるわけです。

京大名誉教授の臨床心理学者である東山紘久さんも、その著書で「離婚からなかなか立ち上がれない、次のステージにトランジット出来ない人は、慰謝料をふんだくることに一生懸命だった人が多い」と指摘していますが、これも同じことでしょう。

朝鮮戦争の時、米国の捕虜が悉く赤化(共産主義に洗脳される)されて帰って来るのに米国の心理学者は愕然として、どうやったらこんなに上手に人の「こころ」を操作できるのか、という論点で様々な研究を行いました。

で、その結果は色々な意味で大変面白いのですが、こと報酬に関しては

洗脳においては報酬は有効である。しかし決して大きい報酬を与えてはいけない

という学びが非常に深い。

捕虜収容所では、共産主義に関する作文のコンテストが行われていました。強制ではありません。あくまで自発的に参加したい人は参加してもいい、というコンテストです。この作文コンテストにおいて「共産主義のここがいい」といったポジティブで説得力のある作文を提出した人には、タバコや葉巻程度の「ちょっとした報酬」が与えられてしました。

この「ちょっとした報酬」というのがポイントです。

一週間労働免除とか、ビール付きの豪華ディナーといった「大きい報酬」を与えると、「自分の本心で書いたのではない、この報酬のためだったらああいうコトを書いてもしょうがないさ」と自分で合理化してしまうのです。

一方、タバコ程度のちょっとした報酬のために、何度も何度も「いかに共産主義が優れていてアメリカ流資本主義が腐っているか」ということを書いているとなると、そういった「報酬のために、本心ではなく書いているんだ」という合理化は成立しません。

これを繰り返しているうちに、これは報酬をもらっているからではなく、自分が本当にそう考えているからなのだ、という統合を行ってしまい、そのうち筋金入りの共産主義者が出来上がる、というのが大まかに言うと中国共産党の戦略でした。頭いい。

人があって、それに対して報酬がある。
過失があって、それに対して賠償がある。

と浅薄な合理主義では考えますが、人間はその様には出来ていません。

報酬があって、人が報酬なりに出来上がる。
賠償があって、それに対して過失と心の傷の大きさが決まる。

という側面もあるのだということを、我々は意識しておく必要があります。


No comments:

Post a Comment