Sunday, October 31, 2010

人生の豊かさの積み重ね方


戦略コンサルティングファームに在籍して既に7年になるのですが、最近ちょっとこの職業が強制する「豊かさのあり方」に疑問を感じています。

単純に言えば、戦略ファームに居て味わえる豊かさというのは

3ヶ月間はコンビニ飯+連夜の残業+休日出勤でがまんし、休みのときには高級リゾート+高級レストラン+ラグジュアリブランドショップでの買い物を楽しむ

というもので、古典的には「大統領の様に働き、王様の様に遊ぶ」というライフスタイルを理想とする考え方です。大統領が働いてばっかりで、王様が遊んでばっかりなのか、という疑問が浮かばないわけではないのですが、まあ要するに極端にメリハリのついた生活ということですね。

で、その生活スタイルを理想とする風潮そのものに、これはどうなんだろうと最近思い始めています。端的に言うと、人生を総決算として〆たときの収支に、もっとも大きく影響するのは、ごく普通の毎日の営みをどれだけ小さな豊かさで積み重ねられるか、ということなのではないか、ということです。

例えば戦略ファームのプロジェクトでは、佳境に入ってくると会社の行き帰りがハイヤーになり、食事も殆ど仕事しながら取る、という形になります。そうなると当然、家族との対話や季節の移り変わり、それは例えば秋であればキンモクセイの香り、春であれば栴檀の香りといったもの、あるいは読書や音楽を楽しむ、といった時間とは無縁の生活になります。こういった極めてドライな時間の後に、人によりますが

:六本木のキャバクラでクリュッグを頭からかぶる
:パリに滞在し、グランメゾンで毎夜連続フォアグラを食い、尿酸値を跳ね上げる
:バーニーズ・ニューヨークでフロア丸ごと買い切る

といったことで人生のバランスを取ろうとするのが戦略コンサルタントや投資銀行マンですが、昔はかくいう僕も嫌いではなかったのですが、最近は「疲れる」ということで、オフの時は

:家でチェロの練習をし、音色に酔いしれる
:コレクションのシングルモルトを、好きな音楽を聴きながら楽しむ
:自転車で知らない街まで遠出する
:阿部謹也先生の中世に関する研究論文を読む

といったことの方が、ずっと幸せを実感できる様になってきてしまっているんですよね。

で、これは間違いなく断言できるのですが、今が、これまで過ごしてきた人生の中で、間違いなく最も幸福なんですよね。それは何故かというと、心がけて一日一日に小さな豊かさを積み重ねて行く様にしているからなのではないか、と思うのです。

今日一日を、丁寧に、大事に生きる

ということが、結局は「幸せな人生」につながるのではないでしょうか?今日は捨てるけど明日で取り戻す、ということが出来ないのが人生の難しさなのだと思います。



Saturday, October 30, 2010

ウェスティン龍天門でディナー



現在のプロジェクトで担当しているお客様の若手現場の方と、恵比寿Westin Hotel内の中華料理店「龍天門」で懇親会。

お客様の方から「30分遅れるので先に始めていてください」との連絡あり、まずはビールをということで最近の定番:「サントリーのプレミアムモルツ」を頼もうとしたところ、場所が恵比寿だけに「サッポロしかない」との答え。しかし、さすがホテルのホスピタリティで、こちらが「うーん・・・・」と考えているのを見て即座に「何とかします」。

結果、「上階のバーにありました」とのことでわざわざ僕のために取り寄せてくれました。

今回のお店はお客さんが選ばれたので知らなかったのですが、一番安いコースでも1.5万円、シェフのお薦めコースが5.3万円という価格にびっくり。銀座のロオジェや京橋のシェ・イノ、青山のナリサワといったいわゆるフレンチの最高級店=グランメゾンで食べると、まあワインにもよりますが大体一人4〜5万円で住むので、価格的にはああいったところよりも高いことになります。んで、こんな料理食べに来ているの、どんな人達なんだろうと自分を差し置いて周りに居るお客さんに俄然興味がわいて来てしまって、ぐるーっと見回してみると接待やらデートやら家族の食事やら、という感じですね。前二者はわからないでもないのですが、幼い子供と家族で3万円のコース食いに来ている30代風と見られる夫婦、一体どんなご職業なんでしょうか?

高級ホテルって、お伺いするといつもそうですがホスピタリティやファシリティがものすごくファンシーな反面、都市のダークサイドに生きている人が集うような独特の雰囲気がありますよね。表社会の人と闇社会で生きている人が出会う交差点の様な感じ。

楽しく食事し、他のお客が全て帰った後も紹興酒をかっくらって、最後に「そろそろ時間なので」と追い出されるまで満喫しました。感謝です。

冒頭の写真はWestin Hotel入り口のクリスマスツリーです。飾り付けが本当に奇麗でした。

Wednesday, October 27, 2010

買い物は楽しい




昼休みを使って銀座の麻布テーラーで冬物のスーツを作りました。生地はサキソニーで、チャコールに白のストライプが入っているものです。ここ2〜3年はスーツはなるべく作らず、吊るしを来ていたのですが、どうも僕の極端になで型の肩には合わない様でラペルが浮いたり、シャツの襟がラペルの上に出たりしてどうもしっくりこないんですよね。全体的な形が細身で「おにいちゃん風」なのも、クラシックでエレガントな形の方が好きな僕にはやっぱり愛せないな、と。で、ちょっと予算の枠を広げてオーダーしてみました。生地を英国から取り寄せてからの仕立てになるので出来上がりは12月になります、と言われましたが楽しみです。

一枚目の写真は対応してくれた店員の皆さん。大事なことだと思うのですが、皆さんものすごくダンディなんですよね。クラシカルでいい色合いの組み合わせの服を来ていらっしゃって、こういう店員さんを見るとスーツだけでなく、日常使いの服もオーダーで作りたくなります。

尊敬している電通の大先輩である白土謙二さんから聴いたのですが、数年前、ユニクロの柳井さんから依頼されて分析した「ユニクロの売り上げを2倍にするための課題」について、一番最初に彼が問題だと思ったのが、「店員さんの服の組み合わせがよくない。服を着ていて幸せそうじゃない様に見える」という点だったそうです。ファッションビジネスにおいて、最高のエバンジェリストは店員である、ってそりゃそうだろうな、と思った次第。

そして店から出てみると何と雨。1年程愛用していたドイツのワンタッチ折り畳み傘を先日タクシーの中に置き忘れて以来、傘を常備していなかったのですが、目の前にあるバーニーズニューヨークで傘を物色してみたら、非常にユニークな傘に出会い、衝動買いと相成りました(2枚目の写真)。

この傘、SENZというオランダのメーカーのものなのですが、うたい文句が「風速100キロでもさせる傘」ということだそうで、これが折りたたみになると風速60キロになるらしいのですが、まあどっちでもいいやということで折りたたみを購入しました。

風速の問題はともかく、この傘、ご覧の通り形が楕円形になっていて、傘をさした時に背中や蹴り出す脚の後ろ側が濡れません。町中で傘をさして歩く、というのは余り楽しい時間ではありませんが、エンジニアリングに優れていて、ユニークなデザインの傘を手に入れたことで、その「余り楽しくない時間」をうきうきするものに変えることが出来ました。




Saturday, October 16, 2010

不可能の建築物と最脆弱点


様々な企業が知恵を絞って戦うと付加価値とコストのトレードオフは均衡点に集まる。
似た様な製品を似た様な値段で出す、ところに一旦は落ち着く。

これは、ある見方をすれば「可能」の建築物でもあるけれども、一方で、誰もがそれをやりたいのだけど、残念ながら今の段階ではコストやテクノロジーや規制の問題で出来ない、ということの裏返しの集まりでもあって、そういう意味から言えば、事業=ビジネスというものは

「不可能」(の裏返し)の集積で出来た一種の建築物

とも言える。

で、この不可能の建築物は、一見堅固に見えるのだけれども、その構成物である「不可能性」の脆弱度は実は多様であったりも、する。

その脆弱性を見極めるのが経営者であったり戦略コンサルタントの最も重要な仕事なのだ、と思う。

人間が物理的に移動できる距離、物資を運べる距離には限界があって、軍隊の展開スピードはそれらの関数に支配されていたのだけれども、ここに、食料を煮沸して缶につめる、というイノベーションが発生して、食料を長距離運べる様になった。運んだ先で暖めればおいしい料理が食べられる、というようになった。

以前に書いたけれども、戦闘機の戦術展開エリアはすごく狭かったのだけれども、別の飛行機から燃料を「飛んだまま」分けてもらう、という空中給油のイノベーションが発生して、これもボトルネックで無くなってしまった。

軍隊をどう地理的/時間的に動かすかという学問は、そういう意味で「不可能の建築物」であったわけだけれども、ここに「缶詰」や「空中給油」というイノベーションが発生して、この不可能の建築物は崩壊し、別の部材を使った別の建築物が造られることになった、ということだ。

いま、僕らが当たり前の様に言う「それは無理だよ〜」、「不可能でしょ」、「ありえねー!」という言葉は、建築物の有り様をひと言で表したものなのだけれども、それらを実際に表現した通りにあらしめている要素は建築物の様に要素還元できるはず。それらを「不可能の建築物」たらしめている部材のうち、どこがもっとも脆弱なのかを考えることが、恐らく21世紀の日本には、ものすごく大事なことなのだと思う。

これは、個人にとっても同じだと思う。あなたもぼくも、不可能の建築物であって、その建築物のうち、どこが最も脆弱なのか?あなたやぼくの、どこを変えると、今まで不可能だったことが可能になるのか、ということをよく考えてみるといい。

:我慢強さ?
:語学?
:知識?
:コンプレックス?
:臆病さ?

いろいろあるんではないでしょうかね?




Friday, October 15, 2010

グローバル耐性の計りかた

民主党に政権が変わり、めでたく国の借金が900兆円を超えました。

ということで、以前から指摘している通りなのですが、ますます日本が21世紀のアルゼンチンとなる可能性が高まってきました。

アルゼンチンは20世紀の初頭には一人当たりGDPで世界最高水準にありましたが、あっという間に国債発行しすぎてデフォルトになってから、結局立ち上がれませんでした。

で、日本もそうなるのではないか、ということで、何をやらねばならんのか?ということですが、二つあると思っています。

1:貯金はせず、借金をして不動産や外貨を買う
2:外国語を学んで、国外で食う(または海外に個人としてのブランドを立てる)

1は単純で、デフォルトに陥った国の通貨はいつも紙くずになっているので、円でいくら貯金しても意味がない、ということです。自慢ではありませんが、私は戦略的なので、40になった今も貯金ゼロです。ちなみに借金はもうスゴいです。

で、2についてですが、アルゼンチンで起こったのは、国内での暴力的なまでの雇用縮小です。既に日本を支えてきた家電や自動車の国際競争力=シェアは減少傾向が顕著になっていますね。日本では既に第三次産業がもっとも大きな雇用を作っていますが、この第三次産業の雇用は間接的には第二次産業が作り出しているので、自動車や製造業といった産業が衰退すると、係数効果で第三次産業の雇用も縮小します。

加工貿易という言葉を小学校で習ったそこのあなた!日本の貿易収支が黒字だということを高校生のときに習ったあなた!

2008年に日本の貿易収支が赤字になったのをご存知ですか?実に28年ぶりです!!!

いままで製造業の皆さんが海外から稼いできた金を、広告代理店を初めとする第三次産業にじゃぶじゃぶ使っていただき、広告代理店の社員がそのお金をまた銀座や六本木でじゃぶじゃぶ使うことで、やっとこさ営まれて来た我が国の経済のサイクルが、回らなくなって来ているのですよ!

ということで、マジにそろそろ国外の雇い主に鞍替えして、拠点も海外に移そうかな、ということを考えています。で、そのときにやはり気になるのが、

語学力

ですね。

ということで、あと2〜3年で、海外を拠点にして仕事をしてちゃんと成果を出せる、というレベルの語学力にしなくてはな、と思ったところ、これが方法論としてはなかなか難しい。一応7年間外資系の会社に居るので、いわゆるTOEICとかTOEFLとかのスコアは、上限に近いところにはりついてしまっているのですが、一方で英語で電話会議とかやると何しゃべっているのか、まったくわからん。という状況でもあり「なんなんだこの910点っつーのは?」、「”Native Speakerの域には一歩隔たりがあるとはいえ、語彙・文法・構文のいずれをも正確に把握し、流暢に駆使する力を持っている”はずなのに、なんでこんなにチンプンカンプンなの!?」と混乱した状態で、この先英語力を鍛えるといって、一体何をやったらいいのだろうか、と途方に暮れてしまっているのです。

で、とりあえず考えたのが、「日常的なインプットとアウトプットを、なるべく英語にする」ということで、これは敬愛する茂木健一郎博士も同じことを言っているのですが、なるべく雑誌も本も英語のものを読んで、ウェブも英語のものを見る、プラスできればこのブログも英語で書く、ということ。

で、一つ思いついたのが、日常的にどれくらい英語に自然に慣れ親しんでいるかというインデックスとして、ブラウザの「お気に入り」の中に、英語がマザータングのサイトがどれくらい登録されているかということ。

僕の場合、いくつだったかというと、驚くなかれ、登録された40のうち、なんと

2!!!!!!

グローバルビジネスマンへの道のりは遠い、と実感した次第です。精進します。

I realized it would be very tough to be a global business man.......

つー感じでしょうか。


Sunday, October 10, 2010

美徳を押し付ける人たち

年齢が40に届いて最近ハラを立てることが殆ど無くなったのですが、ここ数ヶ月で、ムムム〜と思ったことが二つ。

1:クジラを捕るな、と騒ぐアメリカ人。
2:ヘルメットをかぶれ、と騒ぐロードバイク乗り。

本当に、世界を悪くしているのは君たちなんだよ、自分たちはよくしようと思っているのかも知れないけどさ、と言いたい。

シーシェパードの船長が逮捕されて、グローバルにもこんなひどい活動をしている人の逮捕はきっと歓迎されているんだろうな、と思って海外のサイトを見てみてびっくりしたのですが、日本の捕鯨を非難するサイトって本当に多い。特に、やっぱりというか、アメリカに多い。

アメリカという国は、日本に対してものすごいコンプレックスを持っていると思うんですよね。歴史がない国、永遠に残る様な文化を結局は残せなかった国っていう自意識があって。やはりこうなっちゃうんですね〜。

先日、ドストエフスキーの「罪と罰」に絡んで「聖女と娼婦」というテーマについて書きました。一見、真逆に見えるものが、実は一体だったりする。で、逆に言えば、聖人君主が一方で悪魔でもありうるっていうことがあって、米国というのは、そういう一面をちょっと持っていると思うんですよね。

新約聖書の中で、イエスがもっとも忌み嫌うのは「自分は正しい」と思っている人たちです。当時の律法にガチガチに凝り固まったファリサイ派の人たちなんかですね。病人を安息日に直してやって、「あ、お前ね、これはちょっと問題だよ。安息日はさ、仕事しちゃいけないんだから」というようなことを言う。有名なやりとりですが、イエスはこの言葉に対して、羊飼いが、自分の羊の一頭が行方知らずになったとき、その人は安息日だからといって、その羊を探さないだろうか?」という投げかけをします。これは大好きなシーンの一つだけれども、まあそういうことですね。

こういう「自分は正しい」と思い込んでいることで、残酷性を発揮する、というモチーフは小説の世界にも結構あって、たとえばディズニーが映画化してポピュラーになったヴィクトル・ユゴーの"Hunchbak of Notre Dame"のフロロなんかはその典型ですね。

あと、ちょっとマイナーなところで思い出すのはマーヴィン・ゲイの話でしょうか。僕も大好きなアーティストですが、彼がどういう死に方をしたか、ご存知でしょうか?実は、厳格な牧師のお父さんに、口論の末激昂して撃ち殺されているんですよね。厳格な牧師、という聖性の最たるものにいながら、マーヴィンを幼少期から度を超した厳格なしつけで精神的に虐待して、最後には実際に銃で撃ち殺してしまう。

「罪と罰」では、誰からも蔑まれる「立ちんぼ」であったソーニャが、結局はラスコリニコフの心を救う。一方で、街の誰からも尊敬のまなざしで見られいたコミュニティの牧師が、自分の息子を口論の末に撃ち殺す。

世界の中で最も困るのは、「自分は正しい」と思っている人たちです。

捕鯨を責める人たちや、ロードバイクに乗るときにヘルメットをかぶれ、と他人にうるさく言うような人たち。ホント、困ったものですね。

Friday, October 8, 2010

今週


夏から担当していたプロジェクトが一旦終わり、フェーズ2の開始まで少し時間が出来たので、読書やチェロの練習、ジョグにいそしんでいます。

1:読書
相変わらず一冊の本を集中して読む、という読書スタイルがダメで数十冊の本を同時進行で読んでいます。いくつかかいつまんでご紹介。

:Born to Run 走るために生まれた
一日に数十キロ〜百キロを走る南米の部族、タラウマラ属と、「走る」ことに取り付かれた現代のウルトラランナーの対決を描いたルポです。ウルトラマラソンとは、100キロ〜200キロを争うマラソンですが、通常のマラソンでの常識がいろいろと崩れるのが面白い。例えば女性と男性の差はフルマラソンでは如実ですが、ウルトラマラソンでは殆ど無くなるとか、ね。

面白かったのは、200キロ走るのなら「はだし」が一番いいシューズなのだという科学的な根拠を説明している箇所でした。統計的には、クッションの良い高価なジョギングシューズであればあるほど、故障を起こすリスクが高まるのだそうです。皆が皆、一日に数十キロ〜百キロを走るタラウマラ属は、タイヤを切って作ったサンダルで走りますが故障は皆無なのだそうで、当初は食べ物とか走る場所が土だからとか、色々言われていたのですが、どうもシューズに原因があるらしい。それが証拠に、シューズが進化したここ20年の間で、アマチュアランナーに発生する故障の確率はむしろ上昇しているのだそうです。

アディダスやナイキ、アシックスといったメーカーは、クッション性の良さやかかとのサポートといった機能的付加価値をアピールしてどんどん高価なシューズを出しますが、これらのシューズを使うことによって故障が減る、ということを科学的に立証したレポートは、一つもない、のだそうです。要はマーケティング上の一つのトリックだということですね。

ちょっと信じられないな、と思いながらも、高校時代の自分は日常的に履いていたスニーカーでいきなり10キロマラソンとか出ても、体に何の痛みも感じなかったのが、最近はアディダスの高〜いシューズ履いて10キロ走るとなんか体中がギシギシいうから、本当かもと思ったりもします。単に年のせい、ということかも知れませんが。

:リンドバーグ 世紀の犯罪
リンドバーグの息子が誘拐された上、殺害されたのは有名な事件なのでご存知の方も多いかもしれません。この事件は2年後に犯人が逮捕され、その後電気椅子で処刑されたことで解決されたことになっているのですが、この本は、「それは冤罪であって、本当の犯人はリンドバーグ本人である」ということを様々な証拠を集めて主張しているものです。著者は法律家で、この事件の検証プロセスそのものをプロの目から再検証する、という体裁をとっています。

で、読めば、まあ恐らくそうだったのだろうな、ということをすんなり納得しちゃいます。要するに一種の虐待癖があって、一歳の子供を過失で殺しちゃったんですが、それを誤摩化すために誘拐事件をでっち上げた、ということなんですね。読めば読む程、この20世紀の英雄に対する嫌悪感が募ってきます。

なんで虐待を?

その名前をバンドの名前に冠しちゃったり、そのバンドにまた人気が集まっちゃったりするお国なので、あんまり知られていないのだと思いますが、リンドバーグというのは非常に優性思想に凝り固まった人だった。わかりにくい?要するに白人至上主義者だったということです。

必然的に、当時同様の意見を掲げてユダヤ人をミキサーに入れる様にして処置していたナチス=ヒトラーを礼賛していた。自分は白人の英雄で、白人社会の軍備と人種的優越性が、黒人、黄色人種、褐色人種の進出から世界を救える、とまじで考え、実際にそれをパブリックに発信していたわけです。

で、結婚して子供が出来た。その子は、合指症という先天的な奇形を抱えていた。皮肉なことですが、優性主義に凝り固まった人に、初めて授かった子供に先天的な奇形があったわけです。この子についてリンドバーグがどのように複雑な感情を抱いたのか、それはよくわかりません。ただ、結果的に彼が自分の子供を誤って殺してしまう、という事故に、この複雑な感情が恐らく深く関与しているのだろうな、と思うだけです。

非常に不思議なのは、リンドバーグの奥さんのアンは、非常にリベラルな人で、夫であるチャールズと共に、第三世界を含む様々な箇所に飛行機での冒険に出かけていて、またその冒険を記したルポが大変有名なんですよね。実はアンはチャールズとともに日本にも訪れていて、その美しさ、人々の礼儀正しさに感銘をウケたことを本に記しています。

僕はリンドバーグ本人よりも、むしろ奥さんの残された書籍から、リンドバーグ関連の知識を得たので、この本に描かれている彼の未熟っぷりには本当にびっくりさせられました。

2:音楽
まず音楽関連のDVDを2枚入手してそれが両方とも素晴らしかった。両方ともスティングなのですが、一枚は、16世紀の作曲家/リュート奏者であったジョン・ダウランドの曲を歌:スティング、リュート:エディン・カラマゾフで録音したJourney and LabyrinthのDVD。もう一枚が去年の冬にリリースされた、冬をテーマにしたアルバムIf on a winter's nightのメイキング&ライブDVD。本当に素晴らしい。特にIf on〜の方は、冬のトスカーナにある城で録音が行われるのですが、そこの雰囲気が最高。ライブはイングランドの教会で行われるのですが、これも素晴らしいですね。

このDVDを見て、いろいろと考えさせられちゃいました。一つはスティングという人の知性。ダウランドという人に関する研究や、クリスマスというものについての考え方、「冬」の捉え方なんかですね。

後は、進化するってことかな。スティングって、まあロックミュージシャンですけど、このDVDでは二枚ともクラシックの楽器しか使っていないわけです。それで、スティングらしい音楽をまた新たに作り出す。こういうのが才能っていうんだろうな、と思うわけです。いい顔しているんですよね、スティングが。好奇心が旺盛で仕事が楽しくって仕方がない、という表情。その一方で、今週のBRUTUSに出ていた小室哲哉さんの虚ろな目が、本当に対照的だなと思えました。

Sunday, October 3, 2010

今週

9月30日(木)

プロジェクトの最終報告を実施。
その後、会社の後輩と一緒に青山のトラットリア「ドン・チッチョ」に伺いました。
いつも同じ結果を出す、というのも職人の技術だと思うけど、ここの料理もそう。いつも変わらず、美味しい。この日は珍しくカウンター。テーブル席が一杯だったらしい。頼んだ料理はいつもの通りです。

:魚介のフリット
:タコのまりね
:いわしのサルシッチャ
:からすみとあさりのパスタ
:スカンピのグリル
:プラチナポークのグリル

ワインは最初の白がレガリアーリ、次の赤は忘れました。食後にハーブの入ったレモンチェロを頂き解散。久しぶりに強かに酔う。

10月2日(土)
4時起床。先日教文館で購入して来た神学に関する本を読みはじめる。これがなかなか面白い。例えば「復活」。まず、当時のユダヤ教またはユダヤ社会において死者の復活というのは世界の終末とヒモづいた概念であったらしい。従って、終末以前の復活というのは「非常に奇異」なことで、布教をこれから始めようと言う聖書編纂者、ないしは福音書の記者たちが、なぜこのように当時の社会から見ると奇異なことを取り上げたのか、という問いは、それが実際に起こったから、ということでしかやはり答えようがないのではないか、としている。

新約聖書の中でも実際にイエスの人生について触れているのは、いわゆる共観福音書と言われるマタイ、マルコ、ルカの三福音書で、これらの福音書の中には同じエピソードが記述されているものもあります。例えばイエス誕生の下り、いわゆる「クリスマス」のエピソードは、マタイとルカの両福音書に記述されているのだけれども、復活のエピソードは三福音書にまたがって全てに記載されている珍しいエピソードなのですね。しかし、どれもストーリーの細部が微妙に異なっている点が、いかにも事実を書き起こしたということを伺わせます。

加えて、どの福音書も、この「復活劇」の最初の目撃者が「女性だった」と記述していることにも、重大な注意を払う必要がある、と指摘しています。というのも、当時のユダヤ社会においては、女性の証言は法的な効力をもっていなかったからです。女性の証言は全く信用されなかった。そういう社会的な前提があったにも関わらず、福音書記者たちは、それぞれ別の時代に、別の場所で書き起こした福音書において、復活の最初の目撃者が女性だったことを記しています。この復活劇が、イエスの神性をアピールするための単なる作り話であるのなら、なぜ彼らは敢えて当時の人に取っては受け入れがたい様な文脈を採用したのか?

以上を考えると、やはり復活劇というのは、「イエスの教えが本当の意味で弟子たちの中でわかってきた、生き返った様に心の中で対話することが可能になった」ということのメタファーなのではなく、実際に書かれた通りであったかはともかく、何か彼らの認識の転換を迫る様な衝撃的なことが実際に起こったのではないか、ということを述べています。

ここで「だから復活は本当なんだ」と来ないところが神学の面白いところで、この著者はオクスフォードで分子生物学の博士号まで取った上で、神学に進路を変更、神学でまた博士号とってそのままオクスブリッジで神学の先生やっている、という人なんですが、アプローチに科学的な厳密性があって面白いです。ちょっと経営学に似ているんですよね。テキストを読んで、それを構造化して考えるところが。

3時からチェロ。
最近の課題は、手首の左右/上下のストロークの柔らかさと大きさ。チェロの演奏では手を電車のパンタグラフの様に使います。弦を移動するときは腕を上下させるのではなく、弓を持った指をのばしたり縮めたりして移動するのですが、この移動の幅がなかなか大きく取れないのが課題ですね。時間をかけるしかないでしょう。

もう一点の注意はビブラートを大きくかけるということ。