Friday, December 17, 2010

WIKIPEDIAへ寄付しますか?



最近、ウィキペディアが盛んに寄付を募っています。

ファウンダーであるジミー・ウェールズさんのお願いの文章も掲載されています。驚くべきことに創立者を始め、運営に携わる全ての人がボランティアであって、対価を受け取らずに運営しているのだそうです。これを読むと、ウィキペディアから多大なる恩恵を蒙っている僕みたいな人は「1000円くらいだったらいいかな」と思ってしまうのですが・・・・

ちょっとよく考えてみよう。

WIKIPEDIAがどんどん成長して、いろいろな情報が全部タダで手に入るようになると誠実に図鑑や辞典を出版している出版社は経営に行き詰ってしまうでしょう。そして、こういう会社の経営が行き詰ってしまえば、中長期的にはWIKIPEDIAに供給される「新しい情報のフロー」は止まらないまでも、非常に細ってしまって、世界は「情報のフロー」から「情報のストック」に軸足を移していかざるを得なくなります。

ここまで考える必要はないのかも知れませんが、WIKIPEDIAに寄付する、ということは「社会が高コストをかけて新しい情報が生み出すよりも、低コストで既にある情報を自由に使えるようにするほうがいい」ということの意見表明である、とも言えます。

ストックの情報が誰でも自由にアクセスできる、というのは非常にリベラルな社会に聞こえるかも知れませんが、一方で、新しい情報を生み出す、ということを生業として成立させなくする(させにくくさせる)というのは、結果としてはナチが行ったような焚書と同じような事態を招く可能性があります。

つまり、一見リベラルな活動に見えるけれどもWIKIPEDIAが大きな情報を蓄えるようになればなるほど、新しい情報を社会に送り出す、というプラットフォームとしての出版という産業はどんどん衰退していってしまうわけですね。

ここまで論を進めると、でも出版というプラットフォームにウェブがとって代わるわけだからいいのではないか?という意見も出てくるかも知れません。この点を考えるには「市場には”知性”を生み出す力があるのか?」という問いに向き合わざるを得ません。

つまり、これまでの人類の歴史の中でプロ編集者が担ってきた、「知性を生み出す人を見出し、それを磨き、世の中に喧伝し、送り出していく」という機能を、マス市場が代替しうるのだろうか?という問いですね。

で、この点に、僕は悲観的なんですよね。ケータイ小説とかは出てくるのかも知れないけど、プロ編集者による「選択・研磨・提示」というプロセスがなくなるとドストエフスキイもキルケゴールも夏目漱石も、生まれてこないんじゃないか、という気がします。でも、WIKIPEDIAがあらゆる情報を提供するようになれば、編集者を食わすプラットフォームは崩壊しちゃいますよね。

ということで、

1:ストック情報は、(ネット環境にある限り)誰でもアクセスし、無料で利用できるけれども、新しい知性は生まれにくい社会

2:ストック情報は、「知」を購える人々にのみ解放されるのみだが、継続的に新しい「知」が、選択・研磨・提示のPFは維持され続ける社会

の、どちらがいいのでしょうか?ということかと思いますが・・・悩ましい・・・

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