Sunday, October 10, 2010

美徳を押し付ける人たち

年齢が40に届いて最近ハラを立てることが殆ど無くなったのですが、ここ数ヶ月で、ムムム〜と思ったことが二つ。

1:クジラを捕るな、と騒ぐアメリカ人。
2:ヘルメットをかぶれ、と騒ぐロードバイク乗り。

本当に、世界を悪くしているのは君たちなんだよ、自分たちはよくしようと思っているのかも知れないけどさ、と言いたい。

シーシェパードの船長が逮捕されて、グローバルにもこんなひどい活動をしている人の逮捕はきっと歓迎されているんだろうな、と思って海外のサイトを見てみてびっくりしたのですが、日本の捕鯨を非難するサイトって本当に多い。特に、やっぱりというか、アメリカに多い。

アメリカという国は、日本に対してものすごいコンプレックスを持っていると思うんですよね。歴史がない国、永遠に残る様な文化を結局は残せなかった国っていう自意識があって。やはりこうなっちゃうんですね〜。

先日、ドストエフスキーの「罪と罰」に絡んで「聖女と娼婦」というテーマについて書きました。一見、真逆に見えるものが、実は一体だったりする。で、逆に言えば、聖人君主が一方で悪魔でもありうるっていうことがあって、米国というのは、そういう一面をちょっと持っていると思うんですよね。

新約聖書の中で、イエスがもっとも忌み嫌うのは「自分は正しい」と思っている人たちです。当時の律法にガチガチに凝り固まったファリサイ派の人たちなんかですね。病人を安息日に直してやって、「あ、お前ね、これはちょっと問題だよ。安息日はさ、仕事しちゃいけないんだから」というようなことを言う。有名なやりとりですが、イエスはこの言葉に対して、羊飼いが、自分の羊の一頭が行方知らずになったとき、その人は安息日だからといって、その羊を探さないだろうか?」という投げかけをします。これは大好きなシーンの一つだけれども、まあそういうことですね。

こういう「自分は正しい」と思い込んでいることで、残酷性を発揮する、というモチーフは小説の世界にも結構あって、たとえばディズニーが映画化してポピュラーになったヴィクトル・ユゴーの"Hunchbak of Notre Dame"のフロロなんかはその典型ですね。

あと、ちょっとマイナーなところで思い出すのはマーヴィン・ゲイの話でしょうか。僕も大好きなアーティストですが、彼がどういう死に方をしたか、ご存知でしょうか?実は、厳格な牧師のお父さんに、口論の末激昂して撃ち殺されているんですよね。厳格な牧師、という聖性の最たるものにいながら、マーヴィンを幼少期から度を超した厳格なしつけで精神的に虐待して、最後には実際に銃で撃ち殺してしまう。

「罪と罰」では、誰からも蔑まれる「立ちんぼ」であったソーニャが、結局はラスコリニコフの心を救う。一方で、街の誰からも尊敬のまなざしで見られいたコミュニティの牧師が、自分の息子を口論の末に撃ち殺す。

世界の中で最も困るのは、「自分は正しい」と思っている人たちです。

捕鯨を責める人たちや、ロードバイクに乗るときにヘルメットをかぶれ、と他人にうるさく言うような人たち。ホント、困ったものですね。

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