Sunday, October 3, 2010

今週

9月30日(木)

プロジェクトの最終報告を実施。
その後、会社の後輩と一緒に青山のトラットリア「ドン・チッチョ」に伺いました。
いつも同じ結果を出す、というのも職人の技術だと思うけど、ここの料理もそう。いつも変わらず、美味しい。この日は珍しくカウンター。テーブル席が一杯だったらしい。頼んだ料理はいつもの通りです。

:魚介のフリット
:タコのまりね
:いわしのサルシッチャ
:からすみとあさりのパスタ
:スカンピのグリル
:プラチナポークのグリル

ワインは最初の白がレガリアーリ、次の赤は忘れました。食後にハーブの入ったレモンチェロを頂き解散。久しぶりに強かに酔う。

10月2日(土)
4時起床。先日教文館で購入して来た神学に関する本を読みはじめる。これがなかなか面白い。例えば「復活」。まず、当時のユダヤ教またはユダヤ社会において死者の復活というのは世界の終末とヒモづいた概念であったらしい。従って、終末以前の復活というのは「非常に奇異」なことで、布教をこれから始めようと言う聖書編纂者、ないしは福音書の記者たちが、なぜこのように当時の社会から見ると奇異なことを取り上げたのか、という問いは、それが実際に起こったから、ということでしかやはり答えようがないのではないか、としている。

新約聖書の中でも実際にイエスの人生について触れているのは、いわゆる共観福音書と言われるマタイ、マルコ、ルカの三福音書で、これらの福音書の中には同じエピソードが記述されているものもあります。例えばイエス誕生の下り、いわゆる「クリスマス」のエピソードは、マタイとルカの両福音書に記述されているのだけれども、復活のエピソードは三福音書にまたがって全てに記載されている珍しいエピソードなのですね。しかし、どれもストーリーの細部が微妙に異なっている点が、いかにも事実を書き起こしたということを伺わせます。

加えて、どの福音書も、この「復活劇」の最初の目撃者が「女性だった」と記述していることにも、重大な注意を払う必要がある、と指摘しています。というのも、当時のユダヤ社会においては、女性の証言は法的な効力をもっていなかったからです。女性の証言は全く信用されなかった。そういう社会的な前提があったにも関わらず、福音書記者たちは、それぞれ別の時代に、別の場所で書き起こした福音書において、復活の最初の目撃者が女性だったことを記しています。この復活劇が、イエスの神性をアピールするための単なる作り話であるのなら、なぜ彼らは敢えて当時の人に取っては受け入れがたい様な文脈を採用したのか?

以上を考えると、やはり復活劇というのは、「イエスの教えが本当の意味で弟子たちの中でわかってきた、生き返った様に心の中で対話することが可能になった」ということのメタファーなのではなく、実際に書かれた通りであったかはともかく、何か彼らの認識の転換を迫る様な衝撃的なことが実際に起こったのではないか、ということを述べています。

ここで「だから復活は本当なんだ」と来ないところが神学の面白いところで、この著者はオクスフォードで分子生物学の博士号まで取った上で、神学に進路を変更、神学でまた博士号とってそのままオクスブリッジで神学の先生やっている、という人なんですが、アプローチに科学的な厳密性があって面白いです。ちょっと経営学に似ているんですよね。テキストを読んで、それを構造化して考えるところが。

3時からチェロ。
最近の課題は、手首の左右/上下のストロークの柔らかさと大きさ。チェロの演奏では手を電車のパンタグラフの様に使います。弦を移動するときは腕を上下させるのではなく、弓を持った指をのばしたり縮めたりして移動するのですが、この移動の幅がなかなか大きく取れないのが課題ですね。時間をかけるしかないでしょう。

もう一点の注意はビブラートを大きくかけるということ。

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