Wednesday, December 30, 2009

冬の魅力


先日出たStingの新しいアルバム、If on a winter's nightのライナーノーツより抜粋

”今日はとりわけ寒い日となったが、私が子供のころに過ごした冬は現在とは比較にならないほど長く、寒さも厳しかったように思う。二十一世紀の冬は、訪れたかと思うとすぐに去って行く。
何か、大事なものが失われようとしているようだ。たしかに、冬の寒さはしばしば問題も引き起こす。外で働かなければならない人にとっては辛いものだろう。にもかかわらず、冬には根源的で神秘的な、なにものにも代え難い魅力がある。厳しさの反面、深い美しさがある”

〜Sting〜

Sunday, December 27, 2009

ビジュアル・プレゼンテーションの技術







来年の4月から、表記の題名で雑誌「Think!」に連載を持つことになりました(仮題ですが)。

ビジュアル・プレゼンテーションは、戦略コンサルティングにおける基本技能の一つですが、一方で、他産業から転職してきた人が最初につまづいて苦労するポイントの一つでもあります。端的に言って、戦略コンサルタントのスライド作成の技法は、際立ってユニークなんです。

仲間内でよく話すことなのですが、顧客から過去のレポートやプロジェクト計画書をもらうと、それが社内で作ったものなのか、戦略コンサルタントが作ったものなのかは、一瞬で分かります。それぐらい際立って違うのですね。ファームごとの作法の違いがありつつ、見れば一瞬で「どこのファームかはともかく、戦略コンサルタントが作ったのは確か」ということがわかる、というところが非常に面白いところです。

パワーポイントのテンプレートとかプレゼンの技術、ということに関しては世の中に膨大な書籍があるのですが、パッケージをいかにエレガントに作るか、という美意識にまつわる内容については殆ど日本には文献がないみたいですね。今回の連載では、その点、つまりいかに見やすく美しいスライド/パッケージを作るか、という点について書ければ面白いかな、と思っています。

念頭にあるのはEdward Tufteです。この人、アメリカでは非常に有名な人なのですが、なぜか日本では殆ど知られていません。書籍も数多く出していて僕は大好きなのですが、不思議なことに邦訳もされていないようですね。

写真は、そのTufteの最近の書籍である「Beautiful Evidence」の中から、美しいなと思うページをいくつか抜粋したものです。この本は、ある主張を裏付けるための数値なりロジックなりを、いかに美しくエレガントに見せるか、という問題意識に基づいて古今東西からTufte自身が「これは!」と思った様々なマテリアルを集めてきた、という非常に特異な本です。どうですか?実に美しいでしょう?

僕が仕事でレポートをまとめるときは、戦略やストーリーそのものがロジックに基づいてエレガントにまとめられていることはもちろんのこと、見た目が芸術作品と言えるレベルまで美しく結晶化されるように心がけています。最近は、実際のレポート作成はスタッフがやることが多くなってしまって、自分で手を動かす機会が少なくなってしまったのですが、今でも自分で全部のパッケージを作らなければならない、というシチュエーションになると血湧き肉踊る感覚があります。

実は、美しいパッケージやスライドを作るという点に関しては、ビジネス関連の書籍やレポートというのは、あまり学びがありません。恐らくちまたにあふれているパワーポイント本の殆どもそうでしょう。こけおどし的な表現のコツとか、見栄えだけいいけど中身はさっぱりになりがちなテンプレートをいかに多く仕入れても、「人を動かし、企業を動かし、社会を動かす」パッケージは作れないのではないでしょうか?

この点に関して言えば、現実に世界を動かしてきたビジュアル・アウトプットの方が、圧倒的に学びが大きいと思います。それは端的に言えば芸術と科学なんです。このブログのタイトルってことですね。陳腐なテンプレートを学ぶくらいならドラクロワの絵画をじっくりと一日かけて観る方が、または経済学や自然科学のレポートを読み込む方が、ずっと得るものが大きいと思います。レオナルドの素描集なんてヒント満載です。

次の連載では、そういったマテリアルも適宜引用しながら、エレガントなレポートを作る、という点についていくつかのポイントやノウハウを読者の方に開陳できれば面白いかな、と思っています。

ちなみに、表紙と一緒に移っているCDはグールドの平均律です。別に意味はなくって、大きさの目安になるかなと思っただけです。


本年の読書




一番上の写真は書斎のデスクの「積ん読」になっている本たちです。常にこの状況で、新しい本が入るのと読み終わった本が出て行くので三ヶ月くらいで入れ替わっている感じでしょうか?読み終わった本は、保存書籍は大きな本棚へ入りますが、保存に値しない本は会社のライブラリに寄付するか、ブックオフ行きになります。

最近なんとなく読書量が減ったかな、と思い、アマゾンのアカウントを過去に遡って調べてみたらびっくりしたことに、ここ2年くらいの読書量が過去10年で一番多いことが分かりました。
4〜5年前まではだいたい年間で80〜100冊くらいの購入量だったのが、今年は170冊購入していました。去年から格段に増えている感じですね。書店での購入量はまったく手がかりがないのですが、月に10冊は購入していると思うので、恐らく年間で300冊くらいの購入量になります。我ながら信じがたい量ですね。そんなにいつ読んでんだろ?

購入書籍の量が増えているのは、恐らく読み方が変わってきていることも要因として働いていると思います。年間で300冊というとほぼ一日に一冊は読了しているということになりますが、実際に一冊を通して読了しているのは二〜三割程度だと思います。また同程度の本をちらりとめくっただけで殆ど目を通すことなく手放してると思います。ということで残りは全体の四〜五割程度の本を、さーっと斜め読みして、学びが大きそうなところだけつまみ食いしている、ということになります。この、斜め読みしている本がどんどん増えてきていることが、読書量が、それほど本を読んでいる気がしないのに増えている理由だと思います。あとは、読むのがつらい本を時間をかけて読む、ということをしなくなったことも大きいかも。

斜め読みが増えた理由は、非常に単純で知識量が増えたからです。本のページをザッと眺めて、自分にとって既知のことが出てくると「あ、これは知ってる、わかってる」ということでページをどんどん飛ばして行く読み方をしています。結果、別に速読しているというわけでもないのですが、特に経営学関連の本だと200ページくらいの本でも一時間かけずに読み切ってしまうような感じになります。あまり意識したことはなかったのですが、最近の流行言葉で言えばレバレッジが効いてきた、ということになるのでしょうかね・・・・

二枚目の写真は、特に年末年始に読もうと思っている集団です。こうして見ると経営関連の書籍が少ないのに我ながら不安になりますが・・・多いのは相変わらず大好きな中世ヨーロッパの歴史学の本ですね。阿部謹也先生の全集をほぼ読了してしまったので、最近は海外の歴史学者のものを購入しています。今朝から読み始めましたがやはり非常にいいです。本屋で購入したのですが小口にほこりがつもっていました。誰も買わない本なので長いことたなざらしになっていたのでしょう。あとは美術史、環境、スーザン・ソンタグ、経済学ですね。この辺りのテーマはここ2年程ずっと読んでいます。

Tuesday, December 22, 2009

J.M.Westonのブリーフケース







こちらは2000年購入のJ.M.Westonのブリーフケースです。

素材は、かなり厚めのピッグスキンを用いているので非常にしっかりしています。似たようなデザインのものがエルメスにもありますが、あちらはカーフを用いているため、年月を経るとクタッとした風情になり、またそれがいいという人も多いのですが、個人的にはこちらの方が好きです。特に手に提げたときの印象がかなり異なり、こちらはカチっとしたフィーリングに見えます。購入してから丁度10年程になりますが、靴と同様やはり殆ど痛みがなく、ほぼ新品同様の状態を維持しています。

価格は30万円ちょっとだったと思います。

J.M.Westonは未だにブリーフケースを作っていますが、この形のものはなくなってしまいました。靴屋が作るブリーフケースということで若干メンテナンスに心配もあり、店の方に「これ、痛んだり壊れたりしたときは修理はしていただけるんですか?」と伺ったところ、自信たっぷりに「壊れるまで使えたら大したものです。お客様の寿命とどっちが長いか、といったところですね。どうぞ壊れるまで使ってあげてください」と言われたのをよく覚えています。

10年使ってほとんど痛みがないことを考えれば、あながちジョークとも言えないですね。何よりすごいのがハンドルの部分で、パソコン等のかなり重い荷物を入れたりすることもあるのですが、ハンドルを止めている革の部分にまったくゆるみが出ません。一体どういう風に作るとこんなに丈夫になるんでしょうか。

大事なプレゼンや大手企業のトップとお会いするようなタイミングで使っています。

Thursday, December 17, 2009

迫害を予告する

わたしはあなたがたを遣わす。

それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。

だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。

人々を警戒しなさい。


マタイによる福音書

Saturday, December 12, 2009

J.M.Weston



いいものを買って長く使う、というのが好きです。

僕にそう思わせてくれたいくつかの「いいもの」の一つが、J.W.Westonの靴です。

既に10年以上、大したメンテナンスもせずに履いていますが、新品と同様、いや、はき心地は新品以上の状態になっています。姿形も、新品のこなれていない状態に比べて、適度にやれた感じがむしろ好ましいと思います。

さすがにつま先とかかとが痛んできたので3年程前に一度ソールを張り替えましたが、あと10年くらいは余裕で使えそうです。お店に行くと「あと10年と言わず、きちんとメンテナンスすれば一生履けますよ」とのこと。ということで、最近は以前に比べて少し気を使っています。

価格はウィングチップが当時11万円、キャップトウが9万円程度だったと思います。せいぜい3万円程度の靴しか買ったことのなかった僕にはとんでもない価格に思えたものですが、今から考えてみると本当に安い買い物だったと思います。

Tuesday, December 8, 2009

ARBOL

先週の金曜日の話ですが、久しぶりにドンズバに好みにあうレストランに連れてってもらって実にご機嫌でした。

神楽坂のARBOL。

まずアプローチがすごい。

どう考えても初めて訪れた人には発見できないような細い道(というか建物と建物の間のすきまにしか見えない)に入っていくと、どう考えてもただの家、としか思えないような家の表札に「ARBOL」とあります。

ほんとにここ?間違えてんじゃないの?と思いながら、知らない人の家に入る様な違和感を感じながらドアを開けると・・・・どうもここらしい。

靴を脱いでスリッパに履き替え、中に通されると30畳のリビングの真ん中がガラス張りのオープンキッチンになっていて、その周りをカウンターが囲っている、というレイアウトなのですが、何がいいかというと・・・・雰囲気が実に素晴らしい。

おととしの年末、パリのレストラン「L'Escargo」で感じたのと同じフィーリングなのですが、食事を楽しんでいるお客さんの一人ひとりから「楽しいうれしいオーラ」が放たれていて、そのオーラをまたサーブする人、料理する人が反射して輻射熱のように店内を暖めているのです。ここには人生の華が咲いているな、と思いました。こういう場所に来ると人は優しくなりますね。幸せのオーラが反射しあっている感じです。

メニューを見ると、品揃えも豊富だし、ことごとく好みの料理にヒット。モーツァルトなら「胃袋が三つあればいいのに!」と言いそうなシーンですが、ぐっとこらえて前菜に4品をオーダー。腹具合を見てメインを決めることにしたのですが、結果的にはこれでおなかいっぱいになってしまって、そのままデザートと相成りました。

何を食べたんだっけな・・カルパッチョとボルチーニのフリットは覚えているけど・・・あと二品食べました。酔っ払っちゃってなに食べたか覚えていません。

ワインもリーズナブルな品揃えでこの日は2003年のキャンティ・クラシコを頂きました。美味しかったな。

目の前でダイナミックに料理される様を眺めながら食べる料理は本当に楽しかったな~

これだけ楽しませてもらって二人で1.7万円ほど。珍しく、帰り際に次の予約を入れてきました。

なかなか予約が取れないのですが、ご興味のある方には是非、お勧めします。

Monday, December 7, 2009

全てはファッションビジネス化する?

成熟化しきっていて新しい収益チャンスなんてない、と思える様な事業でも後から考えると意外な儲け口はあるものです。

例えば着メロは数千億の市場を生み出しましたが、誰が「電話の着信音を売る」なんていう事業がそんなに大きな市場規模を生み出すと思ったか。

そもそも着メロがなんでそんなに大きな市場規模になったのか、ということを考えると、恐らくそれは「個性化」ということと不可分なんじゃないでしょうか?

携帯電話を持っているのがごく少数だった頃は、持っている、ということそれ自体が個性の主張になりました。そこらへんの人より、僕はちょっとカネあるよ、忙しいしね、とまあそういう主張ですね。

でもこれがみんなが持つ、というようになると携帯を持っている事自体は個性とは関係がなくなります。そうなってくると個性化するための別の付加的な要素が生まれるっていうことなんでしょう。携帯そのものを飾るのがそんなに流行らないのはなぜかって?恐らく、携帯を着飾ってもあんまり露出されないし、着飾ること自体が、個性をある方向に強制的に持って行ってしまう、という特性があるからじゃないでしょうか。音楽は、ものすごくプレゼントできる個性の幅が広いってことなんでしょう。

そう考えると、すべての消費は、ジャン・ボードリヤールが言った通り、個性を伝える、つまり差異を強調するための言語=記号として機能する時代になっているのかもしれません。これはつまり、全てのビジネスはファッション化している、ということを示唆しています。

もし、すべてのビジネスがファッション化していくのであれば、もしかしたらファッションビジネスのマネジメントシステムが、いいベンチマークになるかも知れません。つまり、クリエイティブ・ディレクターが居て、その人が、プロダクトにどのような個性を表象させるかをすべてデザインし、決定する、という仕組みです。

例えば、昨今の携帯電話は、デザインのヒドさを機能を付加することでごまかそうとしていますが、クリエイティブ・ディレクターにすべてを決めさせる様にすれば、多少はよくなるのではないでしょうか。

Sunday, December 6, 2009

今日3つ思ったこと


今日思ったことABC

A:携帯は死にたがっているのかしら
電車の中で見た携帯の公告。防水なのでお風呂の中でワンセグ放送を見られることを訴えていました。最近見た別の広告は1550万画素のカメラを内蔵していることを訴えていました。商品を作っている人にも、広告を作っている人にも大変申し訳ない言い方なのですが、本当にそんなものが世の中でアピーリングだと思ってるのでしょうか?

端的にいって、こんな商品はあってもなくても、どうでもいい気がします。

バカ売れしているアップルのiPhoneは、お風呂の中で使えるわけでも、1500万画素のCMOSも持っていません。なんか、こういう機種を作っているメーカーって根本的に思い違いしているんじゃないでしょうかね。賭けてもいいですけど、こういった風呂で見えるとか、1500万画素のカメラを搭載しているとかいう、どうでもいい機能の機種って、すぐに市場から消えるんじゃないでしょうか?

以前のブログにも書いた通り、今の携帯電話の問題はまず

1:プロダクトのデザインが終わっていること
この点についてはアップルどころか、SAMSUNGにも圧倒的な差をつけられていると思います。パソコンの生みの親であるアラン・ケイが、以前日本の博物館で印籠を見せられて「日本にはこんなにクールなモバイル機器があったのに、日本の携帯電話はなぜあんなにアグリーなんだ?」と言ったそうですが、実に共感しますね。

2:顧客体験のデザインが終わっていること
携帯でちょっとわからないことがあってショップを訪れると銀行や病院で見られるよな番号を発行する機械があって、時間が来ると「○○番の札をお持ちのお客様、○○のカウンターへ、お越し下さい」と機械的な声が響き渡りますね。こういう手順や仕組みを設計した人って、いったいブランドというものをどう捉えているんでしょうか?恐らく、体験の貧しさが発想を同じ様に貧しくしているのだと思う。リッツカールトンで、あの様な番号札発行機を見たことがあるだろうか?グランメゾンのフレンチを食べるときに、機械の声で案内されることがあるだろうか?コスト構造が違うんだからしょうがない?そうかも知れません。でもアップルのテックバーのような仕組みは十分に可能なはずです。

B:才能は開拓する
スティングの新しいアルバム、if on a winters nightを週末に固めて聴いたのですが実に素晴らしい。僕のスティング体験は多分Soul Cagesでほぼ止まっていて15年ぶりなのですが、完全に異次元のアーティストに移行していました。本当に才能のある人って、ファンを裏切る様に音楽的に違うステージにどんどん移行して行くものですが、スティングもそのたぐいの人なんだな、と認識した次第。エクリチュールは殆ど中世音楽で、弦楽器も出てきますが、チェロやバイオリンの様な近代楽器の奏法ではなく、ビブラートが少ないビオラ・ダ・ガンバの様な響きです。スティング自身は、クリスマスアルバムではなく、冬をテーマにしたアルバムだ、と言っている様ですが、暖炉が燃えている静謐なロッジの窓から雪に覆われた針葉樹の林を眺める様な感じが、確かにあります。それも北欧ではなくスコットランドね。スティングがリュートを弾いているのですが、ダウランドの例を引くまでもなく、リュートってスコッティッシュに響きますね〜素晴らしい。

中でも、15曲目が珠玉だなと思っていろいろと調べてみたところ、これはもともとはバッハの曲にスティングが歌詞をつけて謳ったものだということが判明。バッハをポップスに転用、というと有名なところではジャコ・パストリアスが半音階的幻想曲を発狂的なテクニックでエレクトリック・ベースで弾きこなしていますが、なるほど、バッハとスティングという掛け合わせになるとこうなるのか、と深く納得した次第。

C:・・・・忘れました

それではおやすみなさい!

Saturday, December 5, 2009

フランコバッシのリネンチーフ


フランコバッシはイタリアのタイメーカーです。多くのタイメーカーと同様、フランコバッシもハンカチを作っていて、これはそのフランコバッシのハンカチになります。
いわゆるスーツの胸ポケットを飾るためのポケットチーフではなく、ポケットに入れて実用に供するためのハンカチです。大きさも、ポケットチーフがせいぜい20センチ角なのに対して、こちらは40センチ角になります。

朝出かける前に、このリネンのハンカチに、4711やPenhaligon、Santa Maria Novellaのコロンを2〜3滴垂らして出かけます。ちょっと気分転換したくなったりしたときにポケットから取り出して顔を埋めて深呼吸すると、素晴らしくリラックスできます。

一枚8,000円程度と、ハンカチとしてはかなり効果ですが、リネンは洗えば洗う程手触りもよくなり、また耐久性も綿よりもずっとある、ということで自分を誤摩化してます。

AKG K701


家のリビングにB&Wのスピーカーとダイナヴェクターのアンプがあります。これは大きさのわりに低音がしっかりと出て素晴らしいスピーカーなのですが、一人になって音楽を聴ける時間は深夜になりがちでなかなか本領を発揮する様な大音量で聴く機会がありません。

ということで、家ではもっぱらiPodの付属イヤフォンで聴いていたのですが、さすがに迫力不足は否めず、前々から本格的なヘッドフォンを探していたところ、複数の方からこれを薦められて購入に至りました。

AKGのK701というスタジオモニター用のヘッドフォンです。AKGはオーストリアの音響メーカーです。オーストリアと言えば音楽の都ウィーンを抱えるクラシックの総本山の国ですが、このメーカーの機器はクラシックもジャズもロックもオールマイティに鳴らしてくれます。

本来はこの程度の超高性能ヘッドフォンになるとiPodやMac Bookから直接聴くのではなく、アンプを間にかませた方がいいのですが、不調法な僕はiPodに直接つなげてウイスキーを飲みながら使っています。

実際に聴いた感じですが、何と言うか・・・少なくとも僕に取っては完全に未体験レベルの音響体験でした。大規模オーケストラでも、一つ一つの楽器の粒が立って非常に明瞭にハーモニーが聞こえてきます。色彩感覚的に言うと、今まで薄いヴェールを通して見ていた自然の風景を、初めて直接見る様な感覚です。これまで聴こえてこなかったたくさんの新しい楽器が聞こえてくることを発見しました。それくらい音の解像度が高いです。これは恐らく殆どの人にとって新しい音響体験なのではないでしょか。

価格は4万円程と、かなり高価なのですがクラシックやジャズ、フュージョン等の音楽が好きな人にとっては確実にペイオフする投資だと思います。今年買ったものの中でも最も投資対効果の高かった買い物と言えます。