Sunday, September 6, 2009

広告を出したい番組

その証左として

大手広告主をインタビューして回ると、一番広告を出したい番組として

1:NHKスペシャル
2:世界遺産

といった様な番組が続くんですね。上質なコンテンツに、広告を出したいという。

こういうことを、戦略に織り込んで行く必要がありますよね。

今日の記事


今日の日経新聞に、イギリスはロンドンのサビルロウの売り上げが、今回の不況でも売り上げが下がらないどころか、むしろ伸びている、という記事を読みました。

前々から思っていたのだけど、自分のポジションを明確に意識してプレミアムニッチで行く、という意思決定をしたメーカーは、以外にスタビリティが高いのではないかと思っています。

これと同じことが、メディア企業にも言えるのではないか。

さっきのポストのつなぎですが、メディア企業は、ネット系で取り込む広告顧客×視聴者とは違うところにポジションするのが大事なのでしょうね。


コミュニケーションの類型



今日はほぼ満月。

月を見ながらぼーっと考えていたことの備忘録。

コミュニケーションの累計

人×ジャーナリスト×企業×政府の縦横のマトリックス。

企業×人の升目をさらに細分化すると

目線の高い企業×普通の目線の企業×低俗な事業をやろうとしてる企業

の横軸と

目線の高い消費者×普通の目線の消費者×低俗な目線の消費者

の縦軸で

整理できるとすると、

さっきアップしたGmailの広告は

低俗な事業をやろうとする企業


低俗な目線の消費者

にコミュニケートする広告だということがわかります。

結局、メディア企業というのは、この升目の組み合わせの中で、どの領域で生きて行くのか、というのをはっきりさせる段階にきているのだと思います。

マスメディアは、従来どの升目で生きていくか、というポジションをあまりとらなかったのですが、ここをはっきりさせる必要が、今後はあるでしょう。

もっと思いついたことがあるのですが、ちょっと書くより考えるスピードの方が早いのでまた今度書きます。追いつかない、考えるのに書くのが。書いていると消えてっちゃうので一度やめてメモにまとめてからまた書きます。


Saturday, September 5, 2009

なぜ国家は衰亡するのか 中西輝政

■衰亡論が議論される社会は健全
:衰亡論が書かれたり、よく読まれたりする時代というのは、国家や社会の興隆期に当たっている
:イギリスにおいて、ギボンのローマ帝国衰亡史が書かれたのも、イギリスがいよいよ興隆しつつあった時期で、その翻訳が日本で読まれた時期は大正から昭和初期にかけてである
:ギボンが、ローマ帝国衰亡史の執筆にかかろうとしていたとき、友人の哲学者であるデビッド・ヒュームは「フランス語で書かず、英語で書け」とアドバイスしている
:1760年当時、欧州ではフランス語が共通言語であり、ギボンもその習慣に従うつもりだったが、英国が今や興隆の門口に立っていることを認識していたヒュームは、今後、英語が世界の共通語となるであろうことを予測していた

■衰退期にかかると衰亡論は読まれなくなる
:例えば17世紀のスペインは、繁栄の頂点を過ぎて後退しつつあったが、この時期になると盛んに衰亡論批判が論じられる様になった
:イギリスでも1930年代になると、それまで盛んに議論されていた衰亡論は陰を潜めてしまう
:当時のイギリスは衰退のまっただ中にあったが、この明白な傾向から目をそらし、この変化は「イギリスが世界の動向に合わせているだけ」という議論を知識人はするようになった
:例えば、第一次大戦後、国際連盟によって「民族自決」が唱えられたき、植民地を手放して独立させることが国際的な理念に沿ったものだと思い込もうとする等、「観念の虜」になっていた感が否めない
:そういった観点から考えると、1980年代にポール・ケネディの「大国の興亡」が米国でベストセラーになったのは、大きな意味がある・・・・あれだけの大著がベストセラーになり、連邦議会からあらゆるマスコミまで巻き込んで衰亡論が論じられたということは、逆に言えば当時のアメリカがまだまだ活力を失っていなかったことを意味する
:一方で、98年の8月に発足した小渕内閣で新しく経済企画庁長官になった堺屋太一氏が指摘した「列島総不況」状態という言葉を、自民党の山崎拓前政調会長は「元気を失わせる」といって批判したが、この山崎氏のような発想・・・事態を直視せず、安易に楽観論を鼓舞するという態度こそが、文明史の中では最も衰退を招く危険な態度と言える

■トインビーは、国は、自らのうちなる虚ろな物によって滅びる、としている
:トインビーは、これまで地球上に現れた様々な文明を調べて、文明の発生・成長と並んでその衰退の本来的原因や園本質を極めて抽象度の高い議論にまで練り上げた
:彼の主著である「歴史の研究」の第一巻第十六章は、社会衰退の最大の要因の一つとして「自己決定能力の喪失」というテーマを論じているが、ここで注目すべきは「衰退に不可抗力はない」としている点である
:つまり、盛者必衰といったような宿命論は、誤りであり、どうしようもなく避けられない衰退というのもない、ということである
:例えば、最近の日本の「技術」を極めて高く評価して、この技術の衰退が社会を衰退させる、といった議論があるが、トインビーに言わせればそのような例は歴史上一つも見られない
:トインビーは、イギリスの作家であるジョージ・メレディスの言葉を引用する。メレディスは、愛の墓場という小説の中で「われわれは常に、自らのうちなる”虚ろなるもの”によって裏切られるのであり、他社に裏切られるのではない」と記している
:文明の生命力もこれと同じであり、国家や社会の運命を決するもの、それはつねに「内なるもの」に見いだされる、というのがトインビーの歴史哲学の核心にある考え方である

■成長と衰退は紙一重
:トインビーによれば、国家や社会の成長は常に「創造的な少数者」によってなされる
:すべての人に創造的になれ、というのは無茶であり、社会を進歩させるためには、大多数の人が簡単に模倣できて、取り扱いが簡単なシステムを作り、圧倒的多数の人を、そのシステムに乗せることで成長のプロセスを推進させることが必要になる
:トインビーは、この仕組みをギリシア語を用いて「ミメーシス」と呼んでいる。
:トインビーによれば、鈍感な大衆に地図をそれぞれ持たせて進む道を考えさせる、というやり方は、どんなに進歩した時代でも結局は文明の進歩につながらない
:誰でも歩ける広い道を隊列を組んで行進することは、鈍感な大衆にも可能であり、効率もいいため、従って文明は進歩する
:少数のリーダーが膨大な人々を引率する方が、能率がいい
:しかし、この広い道は、しばしば「破滅への道」つまり衰退への道につながる危険も持っている。その引率者が大衆を誤った道に導く「ハーメルンの笛吹き男」でないと、誰が言えるのか

■近代史の全否定というポストモダンの考え方は危険
:平和がいい、民主主義がいい、といった近代的な思考の枠組みに対するアンチテーゼとして、ポストモダンは登場した
:ポストモダンは、しばしば近代を超克するというかけ声の元に近代を全否定するが、近代つまり我々が行きてきた過去を全否定することそれ自体が、そもそも精神の喪失であり、思考の怠惰であり、つまり退廃の現象といえるはずである
:アメリカの歴史学者、アーサー・ハーマンは、こうしたポストモダニズムこそが、西洋文明の堕落と衰弱の証だと述べている

■日本は欧州からいろいろ学んできたが、大事なことを学び忘れている・・・それは衰退期への対処の仕方である

■これまで、近代の枠組みで「善」と捉えられてきた指標を、改めて考えてみる必要がある
:例えば、社会科学では大学への進学率の上昇は、それ自体が目指すべき「善」の指標、つまり「政策選択の目標」であると即自的に位置づけられてきたが、それはある段階を超すと社会の活力を低下させる方向に働く
:中産階級の人口が増えるのはよい、という前提も極めて主観的で特定の価値観に基づく選択肢の一つ本来は過ぎない
:平均寿命の上昇も、本来はもっとそれ自体が意味するところがもっと議論されてしかるべきであろう