Monday, August 3, 2009

長期予測の誤謬 その他

今書いている書籍のネタになりそうないくつかの疑念とコンセプトの備忘録。

1:長期より短期。予測より意思。
戦略コンサルティングファームに居ると、長期予測をいろいろなクライアントからお願いされます。だいたいPEST分析というのを軸に行うのですが(Politics、Economics、Social、Technologyの4つの視点で将来の需要や競争環境を予測するから)、個人的には有効性を疑問視しています。なぜかというと、様々なシンクタンクやコンサルティングファームが提出してきた長期予測には、大ハズレのものが多いからです。

代表的なのはコンピューター関連業界でしょう。1980年代に出されていたパーソナルコンピューターの市場規模に関する長期需要予測は大ハズレでした。もともとIBMの社長ですらパーソナルコンピューターの市場規模はせいぜい世界で5台程度だろうと予測していましたし。

予測というのは経営という生業を行うにあたっては不可欠のものの様に言われていますが、問題になるのは「予測」と「意思」の関係性です。「予測」と「意思」の関係が、「意思」が「主」で「予測」が「従」であればいいのですが、「予測」が「主」で「意思」が「従」になると、これは危険だなと思っています。

つまり、自分の会社はこういうことをしたい、世の中をこう変えたい、という意思があって、そのために戦い方を考えたいから予測が必要だ、という流れならいいのですが、自分は何をしたいのかよくわからないけど不安だし、カネも欲しいから予測してくれ、というのはまずい
ということです。

いろいろとありますが、

分析とかアジェンダだとかさ、もういいんだよ。要するにお前何したいんだよ、

ということですね。

もし予測をするなら密度を濃く、短期でやるのが宜しいと思います。意思と予測。短期と長期。意思は長期でもって予測は短期を繰り返して精度を上げて行く。こういうことになるのかと思いますね。予測を長期でやって意思は短期、というのが最悪の経営です。


2:ミディアムアウト
技術でも市場の要求でもない、流通やメディアの有り様が、戦略そのものを超えて思考様式すら規定している。このタガをどう外して行くか?

3:「モノ」より「コト」のデザイン
日本には深澤直人さんや原研哉さんと言った素晴らしいデザイナーが居て、私も尊敬していますが、彼らのデザイン提案に接していて違和感を感じるのは、デザインされたプロダクトが美術館のホワイトキューブの様な無菌状態に置かれて提示されていることです。実際の日本の家庭の殆どはそうでない。ホワイトキューブに常に商品が置かれているのは、その商品がどういう行為や場所の文脈で使われることになって、生活をどう変えるか?ということについての具体的な提案がデザイナー側にないということです。

デザインがプロダクトそのものを離れて文脈も取り込んだ全体性の提案能力を獲得できない限り、この国が抱えている凄まじい醜さというのは解決されないと思います。

この文脈から乖離した、一種無菌の標本としての提示に対して消費者がシラケるという構図は広告の世界でも起こっていることだと思います。花束を抱えた外人俳優が奥方らしき人を迎えて自動車で乗り付けると上に花火が炸裂する、というトヨタのCMがありましたが、関係者はこのCMによって何を伝えたいのか、全く意味がわかりません。

もし、消費者が、このクルマを買うことによってCMで提示されているクラス感の生活が手に入る様な幻想を持ってくれることを期待していたのなら、あまりにも消費者をなめすぎている、と言わざるを得ません。欺瞞そのものでしょう。

これは、いわゆるミニバンのCMでしたが、こういったクルマの顧客の生活とCMの提案内容にあまりにギャップがありすぎるのではないかと思う訳です。普通のミニバンの生活というのがあって、郊外の巨大ショッピングセンターに子供連れで週末に買い物に行くとか、ファミレスに行くとか、夏休みに田舎に帰るとか、そういう普通に想定される使い方に対して、このクルマは、その文脈をどう包み込んで変えてくれるのか、という提案こそ必要でしょう。そういう提案が全く亡くなってしまったのが、若者が自動車に夢を持てなくなったことの最大の理由だと、僕は思うし、そもそも広告が効かなくなった、というのも広告そのものが無意識に身につけているこういった欺瞞に、もう皆が気づいているからということなのだと思います。

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