Sunday, July 26, 2009

今日思いついた4つのキーワード

21世紀の日本型経営について、今日思いついた4つのキーワード

1:「太く短く」から「長く細く」へ
2:グローバリズムよりローカリズム
3:Haptic 形容詞の幅を拡げる
4:脱成長幻想

すいません、全然構造化されていませんが。

1:「太く短く」から「長く細く」へ

これは前著で記した「メディアアウト」というパラダイム、つまりプロダクトアウトでもマーケットインでもない、メディアや流通が商品や広告の有り様を決める、という思考様式ですが、この「メディアアウト」という考え方のせいで商品の寿命が日本では極めて短命になっています。

清涼飲料業界では、一年にだいたい1000以上の商品がリリースされていますが、3年後に継続している商品はだいたいここ10年の平均で見てみると2〜3程度です。残りの997は、まあ歴史の残滓として消え去って行く訳ですが、この997に、色々な人の知恵や残業時間やストレスが、膨大に注ぎ込まれています。これって国家的な損失じゃないかと思うんですね。

時間軸を10年に取ってみると、その確率は1000のウチ1以下。では100年では。すいません、そこまではちょっと計量していないのですが、まあ意味がないくらい小さい数字になると思います。

一方で、例えば鹿苑寺。まあ金閣寺といった方が通りがいいかも知れませんが、800年間富を産み続けている。ファイナンスや事業評価の世界ではにNPV=正味現在価値という言葉が呪文の様に使われていて、要するに未来永劫に渡って生み出す価値を、今ここで計量するとどういう数字になるのか、というばかばかしい考え方ですが、最近生み出されている商品のNPVって、過去の日本のどの時代の文物と比べても、時間的に持たないものになってしまっている気がします。

これをどう考えるか?

いまのマーケティングは、1000のうち3つしか生き残れないことを前提にしたマーケティングになっていて、残りの997の失敗のコストを成功した3で回収するモデルになっています。昔近鉄に、三振か特大のホームランか、と揶揄されたブライアントというとんでもない選手がいましたが、まさにそのバッティングスタイルと同じことをやっている訳です。

そのため、この成功した3つの商品の購入者は、本来支払うべき便益の対価以上に、企業が失敗した997分の実験のコストを支払われていることになります。しかも、その3つの商品ですら殆ど生き長らえない。

この先は、また今度書きます。


次に 2:グローバリズムはローカリズム

に行きます。

何でこんなこと考えたかというと、日本で「この商品はグローバルに戦える」と思われて、グローバルに打って出た商品の殆どが無惨な失敗に終わっている一方で、グローバルに健闘している商品の殆どが、そもそもグローバルで戦うことを目論んでいなかった商品である、という経験則があるからです。

代表的なのは、宇多田ヒカルでしょうか。日本で850万枚という空前のヒットとなった「First Love」を引っさげて、鳴りモノ入りで米国に進出しましたがビルボード160位が最高位という結果に終わりました。率直に言って、惨敗とすら言えない、そもそも勝負にすらならなかったという感があります。

もっとひどかったのは松田聖子でしょう。これは詳細は割愛します。当時の関係者は一体何を考えていたんでしょうか。

まあ要するに日本で受けて、洋楽コンプレックスをこの人なら溶かしてくれる、と思われた人は、戦艦大和の特攻みたいになっちゃってんですよね。

その一方で、知らないところ日本人が海外で急に流行って、その後日本でも流行るという例は枚挙にいとまがありません。

最近だと村上隆さん。ちょっと前だとYMOやGODIEGO。も少し前だとKurosawaということになるでしょうか。村上さんは非常に頭のいい人なので、多分グローバルで戦うならローカリズムが大事だと言うことを、帰納的に理解していたと思いますが、YMOやGODIEGOはもとより世界を舞台にして稼いでやろうという気は、あまりなかったと思います。

坂本龍一さんは、スタジオミュージシャンが本業で、アルバイトのつもりでYMOを始めたらエライ騒ぎになってしまって非常に困惑した末、一種の神経症みたいになってしまった、ということをインタビューでよく答えています。

つまり、何が言いたいかと言うと、日本のマーケットで受けて、これならグローバルで戦える、という商品は、なかなかグローバルには競争力を持ち得ないということなんです。携帯とか家電なんかもその範疇に入るのかも知れませんね。

なんでこういうことが起こるのかと言うと、僕らは結局未だに西洋コンプレックスを抜け出せていない、ということなんだと思います。西洋コンプレックスに支配されたマジョリティを対象市場にしてビジネスを行うとすると、いかにも西洋的な商品、つまりパチですね、が受けることになります。しかし、パチは所詮パチなので、本場では受けない。まあ松田聖子がパチかどうかというのも議論があると思いますが、それは置いておくとして、受けない。

一方で、欧米が期待している新しさっていうのは、やっぱり日本が出せるユニークな物があるっていうことなんだと思うのです。力みをなくして、素直に自分たちの美学で、自分たちの感性に従っていい物を作ったら、海外でも受けてしまった、というのが構図です。

長くなったんで次ぎに行きます。

これは本のネタの備忘録に書いているんで、すいません。あまりここで読んでいる人を意識していないので、続きが読みたい人は本買ってください。


3:Haptic 形容詞の幅を広げる

Hapticというのは、障り心地が良い、といった意味の英語ですが、「触感=手触り」は今後の重大なキーワードだと思っています。

形容詞は五感に結びつく物が多い。美しいとか美味しいとか冷たいとかうるさいとかクサイとか、みんな五感に結びついた言葉です。そして、マーケティングっていうのは、だいたいこの五感のどこかにポジティブな反応をさせるためにどういう商品やらサービスやらを作ったらいいのだろうか、とプランニングされます。どうしたら美味しくなるのかとか、どうしたらかっこよくなるのかとか、まあそういうことですね。

で、20世紀後半のマーケティングは、五感の中でも目と舌に比重を置きすぎているんじゃないか、という気がしています。僕は、最近の動向を見ていて、これからはまず「皮膚感覚」が非常に重要なキーワードになると思っています。

ユニクロの作るジャケットは見た目にはよく出来ていますが来たときの皮膚感覚は慄然としてイタリアのものと違う。僕はユニクロという変化し続ける会社を非常に尊敬していますが、残念ながら今の段階では、こと皮膚感覚という面では勝負にならないと思っています。靴もそうですが、技術が進んでくると見た目には殆ど差のない物が出来上がって来るのですが、身につけたときの感覚が違う。

つまり、モノが自分に与えてくれる情報の量と質が、ゼンゼン違うんですね。

京都の旅館などに泊まると坪庭という、ごく小さな庭がよくあって、だいたいコケが生えていますね。その、密生したコケの上に裸足を置いてみたときの皮膚感覚。圧倒的な足の裏からの情報量が脳を直撃しているフィーリングなのですが、僕はこのフィーリングを同じものをフライのシャツやブリオーニのジャケットにも感じます。

キーワードは情報量なんです。心地よい情報の量を、いかに五感を通じてそのプロダクトから消費者に対して与えるのか?この点を考えると、20世紀に視覚と味覚ばっかりに偏っていたマーケティングの地平が開けてくると考えています。

もう一つ、ついでに書いとくと、聴覚も実は重要なのではないか? 先日、知人のおごりで非常に高級なフレンチレストランに伺いました。大変美味しかったのですが、がっかりしてしまったのが、メインがそろそろ出るか、という時期に厨房の奥の方でタワシで何かをこすっている音が、かすかながら聞こえてきたことです。

料理は味覚を通じて味わう物ではありません。ソムリエが良く言う様に、まずは見る。そして嗅ぐ。そして味わう。というのが基本になりますが、ここに僕は絶対に外せない用件として、その料理が与えてくれる「音」を非常に気にしています。

僕は食いしん坊なので、安くて美味しい店がある、流行っている店があると聞くと仕事をなげうっても駆けつけますが、安くて美味しい店なのに流行っていないケースは「音」がだめなことが多い。一方で流行っている店は必ず「音」・・・この場合サウンドスケープというべきかも知れませんが、その手触りが非常にいい。そう、音の手触りがいいんですね。ヨーロッパの老舗レストランに行くと、無作為の作為としてデザインされているサウンドスケープの素晴らしさに舌を巻くことになります。

村上龍の料理小説集にエキセントリックな老作曲家の話が出てきます。彼は、「交響曲は赤ん坊の鳴き声に負ける」という脅迫感に苛まれて常にヘッドセットを耳に付けている。電池の続く限りヘッドセットをつけたまま食事し脱糞しセックスし眠るのですが(電池が切れたときは電池交換時用の別のヘッドセットにつけかえる)、その彼が、友人と一緒にパリのホテルのダイニングに向かう廊下で、友人に向かって「シ!」とささやいて立てた人差し指を口に持ってくる。そしてゆっくりとヘッドセットを外して、廊下に漏れ聞こえてくるダイニングの音に耳を傾ける。フランス語をはじめとした数カ国後のささやき合う声やカトラリーと皿がふれあう音、ギャルソンの通る声といった音が渾然一体となって聞こえてきます。そして老作曲家の一言は「・・・音楽だ」

視覚から、聴覚、触覚。プロダクトが訴えるべき5感の地平が広がれば、新しい価値が生まれるのではないでしょうかね。


4つめに来ました。

ふー。 脱成長幻想、これはね、忘れました。

何考えていたのか。また今度考えます。 おやすみなさい

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