過労死・過労自殺が減らない本当の原因

過労自殺に関する電通の裁判が始まりました。

もちろん、過労自殺という悲劇を招いてしまったことについて、関係者の責任を明らかにすべきことは間違いがないのですが、このポストでは少し、電通という「個社の問題」から、過労死・過労自殺が全般に増加しているという「社会の問題」について考えてみたいと思います。

皆さんもご存知の通り、ここ十年ほどのあいだ、日本では過労死・過労自殺が増加しています。これを食い止めるために、いわゆる「働き方改革」なるものが進行しているわけですが、以前から公言してはばからない通り、ただ単に「残業を減らそう、みんな早く帰ろう」ということを騒ぐだけの運動であれば、単なる一時的なブームで終わって、この国の労働環境は全く変わらず、おそらく悪化の一途を辿っていくことになるでしょう。

問題は、なぜGDPがほとんど変わらない、つまり付加価値の創出量が変わっていない中で、労働環境がますます過酷になっているのか、という根本原因を特定することです。

これは社会科学の通例どおり、いろんな要因が絡まっているわけで、「これが根本原因だ」と特定するのは難しいとは思うのですが、一つ忘れてはならないポイントがあると思っています。

それが、先般上梓した「美意識〜」でも指摘した、「正解のコモディティ化」という問題です。

かつて、キャリアアップのために必須のリテラシーとされた「論理思考」と「経営学」が広く浸透したことで、どの企業・組織も同じような「正解」を出すようになりました。

個人的にこの現象、つまり「正解がコモディティ化している」というのは2000年代の初頭ぐらいから顕著になっているように思いますが、その結果、どの企業からも似たような商品、似たようなサービスが出てくるようになりました。

例えば、アップルがiPhoneをリリースする直前の2007年の携帯電話のラインナップをみてみるとわかりやすい。どのメーカーもほとんど同じようなデザイン、機能に収斂していてほとんど見分けがつかないでしょう?

2007年KDDIの携帯機種ラインナップ どれがどのメーカーか区別できる?

こういったことがいろんな業種・市場で起こっているわけです。

この問題が厄介なのは、各社の提案が「間違った答え」ではない、ということです。

マーケティングスキルに基づいて市場調査をやって、集めた情報を論理的に処理すると、必ず同じ「正解」に至る。ただ「正解」に至る会社が増えてしまったことで、「正解」自体がコモディティ化してしまっている、「正解」が無価値になってしまっている、ということなんですね。

本来であれば、この段階で「正解」で勝負しない、という路線に切り替えるべきで、それを実際にやったのがアップルという会社でした。アップルの戦略については経営学者さんたちが分厚いレポートを色々と書いておられるようですが、別に大部が必要なわけではない、一言でそれを言えば「正解で勝負しない会社」ということです。逆バリする、みんながあっちの正解に行こうとするならオイラはこっち、ということです。

ということで、アップルは「正解で勝負しない」という方向を選んだわけですが、多くの日本企業は別の道を選び、未だにその道を驀進している。それはどういう道かというと、

コモディティになった正解を、より早く、より安く出して勝負する

という道です・・・みんなが吉野家の戦略になったわけです。

これは「修羅の道」です。非常に厳しい、残酷な道ですが、意識的か無意識的かを問わず、多くの日本企業はこの「修羅の道」を選び、未だにそこを突っ走っているわけです。

さて、皆が同じ正解を提案して勝負する以上、勝ち負けは「どれだけ正解を早く、安く提案できるか」にかかってくるわけで、要するに従業員をどれだけコキ使うかによって、勝負の明暗が決するということになります。

ここに、日本で過労死・過労自殺が増加し続けている原因があります。

この問題は、「残業を無くそう」「早く帰ろう」といった現場の掛け声で済む問題ではありません。なぜなら、問題を生み出している根本的な原因は、その企業が追求している「差別化の戦略」に根ざしているからです。

他社と同じ正解を追求しながら、それをスピードとコストで力づくに差別化しようとすれば、従業員を長時間こき使うというマネジメントに帰結せざるを得ません。この戦略に関する見直しをやらないままに、単に「早く帰ろう、残業減らそう」などと茶番のようなキャンペーンをやり続けても、過労死・過労自殺の問題はおそらく解決しないだろうと思います。

この構造問題について、おそらくほとんどの経営者は気づいていないようですが、であれば、そのような経営者は去るべきでしょう。経営者の仕事は茶番のキャンペーンの実施に発破をかけることではない。会社が抱えている構造的な問題を洞察して、その問題に対処するために本質的かつ長期的な手を打つことです。それができないなら経営者としての立場を退くべきでしょう。

さらに悪いことに、この問題に気付きながら、これに対処せずに看過しているということであれば、それは「意識的な過怠」であり、もはや犯罪と言えます。

いずれにせよ、日本企業は現在のおままごとのような「働き方改革」で満足することなく、従業員をこき使うことでしか他社と差別化できないという、経営戦略上の根本的な問題に対処することが必要だと思います。